事故の概要

2000年3月8日午前9時1分に中目黒駅直ぐ近くで起こった地下鉄日比谷線の下り電車の最後尾車両が脱線し、上り電車の6両目に激突して、両車両とも大破し、乗客5人が死亡し、64人が負傷しました。被害者の大半は衝突された上り電車の6両目の乗客でした。その5人の犠牲者の内に、私の息子が含まれていました。期末試験の最終日で、1限目は履修していなかったため、2限目の英語の試験にあわせて、いつもより遅い電車に乗ったために、事故に遭ったものです。

息子は生後間もない頃よりアトピー性皮膚炎に苦しみ、死ぬまで続きました。私ども夫婦は、この17年と8ヶ月間、手塩にかけて育ててきました。営団は、そんな息子を一撃で殺したのです。もとより、職員1万人を越え、国と東京都が出資主である巨大組織に対しては、私どもの力は蟷螂の斧に等しく、息子を殺して申し訳ないというような加害者意識の全く欠落した営団の仕打ちにどう対応したらよいのか、模索している状況です。彼らにとっては単なる死傷事故で補償金を払っておしまいでしょうが、私ども遺族にとっては、人生が一変し、生きている限り続く悲しみと苦しみです。これは、私ども遺族だけの問題ではなく、いつ皆様の身にも降りかからないとも限りません。その時に、こういうことが起こるんだと言うことを、当事者の私でなければ書けないことを、皆様にお知らせせねばと思った次第です。

目黒署やマスコミの話を総合すると、息子は反対側の吊革につかまって立っていて、異音に気付き振り返った瞬間、はぎ取られた車両の側壁が水平に飛んできて息子の左前頭部を直撃し、左頭部が潰れて即死したようです。

警視庁は、業務上過失致死傷害事件として、立件すべく捜査を続けております。私も事故直後に被害届を目黒署に提出済みです。何としても立件にこぎつけて欲しいと願っております。コスト削減のために合理化につぐ合理化を続けてきた結果がこの悲惨な事故です。乗客の命とコスト削減を天秤に掛け、コスト削減を選択したのです。平成10年度で120億円もの純益がある公共輸送機関が更なる利益追求のために乗客の生命を軽視したのです。責任者を是非公判で明らかにして欲しいと願っております。業務上過失致死などと言う罪があるのは日本とドイツだけだと聞いております。米国やフランスでは、業務上であっても、個人が殺人罪に問われます。最近の例では、薬害エイズでフランスの大臣が殺人罪で起訴されたように記憶しております。日本だけです。業務上であれば、人の命を奪っても殺人罪に問われないのは。営団という組織を相手にしても、一人一人は他人事だと思っているから、真剣にはならないし、何も変わらない。営団も一人一人の人間からなる集団です。個人を相手にして初めて、その人は自分の仕事の重大さに気付き、真剣に仕事に取り組むようになると思います。公判では、出来たら、運輸省の責任も問うて欲しいと思っています。営団の総裁が多額の退職金を手にして辞職しても責任を取ったことにはならないと私は思っています。(総裁は6月30日、退職金を返上の上、「社会的責任」を取って辞任した。)

この事故は、営団が脱線防止ガードの敷設を怠ったために起こった、営団の安全を軽視した怠慢行為による、殺人に近い人災であると、私は基本的に考えております。例え車両に多少の欠陥があったとしても、このガードさえあれば、脱線が防げた可能性は極めて高いと思っております。JR各社、私鉄各社、他の地下鉄を含め、営団の脱線防止ガード敷設基準は鉄道界最低の基準で、同ガードを140R以下の曲線に敷設する、というものです。相互乗り入れをしている東急の東横線は450R以下です。営団の基準は東急の3分の1以下です。つまり東急は営団より3倍も安全です。営団は安全を軽視していたのです。ガードを設置しなければ、それだけコスト削減になります。二十数年前に決めた基準を、車両も次々と軽量化され変わってきているのに、他社が基準を厳しく改訂していく中で、全く見直さず、何もしなかったのです。営団の現役やOBの現場職員からも「合理化を理由にどんどん手抜きを進めているので、いつかは脱線事故が起きると思っていた」と私宛にメールが来ております。なぜ各社バラバラの基準を採用しているのかというと、運輸省が統一基準を定めなかったからです。営団は運輸省直轄の特殊法人(国6割、東京都4割の出資)で、いわば国営の鉄道です。運輸省の役人にとっては、甘い蜜をふんだんに吸える組織です。運輸省の他にも建設省と東京都から天下っております。新線の建設には国の補助金が使われるので、建設省の天下り理事がいるのです。無論、財投の資金も入っております。つまり、国と都の役人がやりたい放題をやっているのが営団です。税金や運賃を食い物にして、テンとして恥じない連中が電車を運行しているわけです。乗客の生命など、虫けらくらいにしか思ってないのです。営団と運輸省がぐるになって、最低の脱線防止ガード敷設基準を決め、実際に乗客を乗せて「脱線試験」を行っていた訳です。「脱線事故が起きたら改訂すればいい」程度にしか考えてなかったのです。だから、運輸省は、事故が起こってから、慌てて200R以下にはガードを設置するように、事故後に通達を出しています。運輸省の責任は重大です。このままでは、いずれ大惨事が起こると思います。そうなる前に、営団を解体すべきです。各路線を私鉄各社に切り売りすればよいのです。営団の安全基準は業界最低ですから、他のどの私鉄が買い取って運行しても、営団より安全なのは自明です。

脱線そのものの原因は、運輸省鉄道事故調査検討会の結論を待たねばなりませんが、2,3年はかかると思われ、最悪、原因不明で終わるかもしれません。営団と運輸省がぐるになって事故の原因隠しをしましたので、原因の特定は難しそうです。3月8日の事故当日には運行を再開しております。原因が分かって、営団や運輸省の責任を問われるのを恐れ、現場保存をしなかったのです。1週間くらいは運行を止め、再現実験や現場の調査をすべきなのに、直ちに運行を再開したのです。運輸省お手盛りの鉄道事故調査検討会が運輸省や営団に不利になる結論を出す訳がありません。「原因不明」という結論になると思います。営団や運輸省にとって、原因不明なのが一番都合が良いからです。(6月28日に鉄道事故調査検討会の中間報告が発表され、4つほどの要因が競合した「乗り上がり脱線」だと結論づけた。)

警視庁でも無論、立件に向け捜査しておりますので、期待したいと思っております。

私にとって、なぜガードを敷設しなかったのか、誰が敷設基準を緩める決定をしたのかが重要です。他の私鉄各社が基準を厳しくしていく中で一人営団のみが基準を緩めていったわけです。その責任者が5人を殺し、60人もの人に怪我(片足を切断した方もいるそうです)を負わせたのです。その人だけはどうしても許せません。必ず明らかにして、このホームページで報告します。過去ずっと脱線が起きないから、少し基準を緩めても大丈夫、もう少し緩めてみよう、やっぱり脱線が起きないから大丈夫という調子で、仕事をしていたんだと想像しています。数十万・数百万の乗客の命を預かる公共輸送機関ゆえ本来安全措置を二重にも三重にも講ずる義務があるにも関わらず、それを怠り、正に実際に乗客を乗せたまま脱線試験を行っていたことに等しい所業です。例え、100%の自信があっても、人の命がかかっているのですから、200%、300%へと安全性を高めるのが当然です。あらゆる安全措置を講じた上で、なおかつ脱線事故が起きたのなら、人智を越えた事故として諦めもつきますが、そうではなく、脱線防止ガードという安全策が存在したのです。それを怠ったのでは営団が乗客の命を軽視したと言われても仕方のないことだと思います。その当事者は自ら名乗り出て、私の息子と私の家族に謝罪し責任をとるべきです。私の息子は頭を潰されて血を流して死んだのです。加害者の営団が一人の血も流さないというのは納得できません。

事故が起きて、当日夜の運転再開までに、あっという間に脱線防止ガードを敷設した。先日初めて事故現場を訪れ、その真新しいガードを見た時に、何とも言えぬやり切れなさに妻共々悔しさと悲しさに涙が止まらなかった。「なぜ、ガードをつけておいてくれなかったのか」「なぜだ!」

7月11日時点で判明している経過、事故原因と問題点を整理します。

6月28日 運輸省鉄道事故調査検討会の中間報告の発表。
      運輸省は鉄道事故調査検討会に法的権限を持たせ常設機関に格上げの方針。
6月30日 寺嶋潔営団総裁の引責辞任。
7月 9日 警視庁はレールの過剰研削を過失として営団を立件の予定。(テレ朝の報道)

鉄道事故調査検討会の中間報告による推定原因
●輪重のアンバランス
●レールの研削
●その他、摩擦係数の増大、台車特性の影響
輪重のアンバランス
八六年六月に横浜駅構内で脱線事故を起こした東京急行では八八年二月、自動輪重バランス測定装置を設置し、輪重差10%以内に管理している。
営団では、日比谷線事故と類似したせり上がり・脱線事故が九二年十月、十二月に鷺沼車庫(川崎市宮前区)で連続して発生し、軌道区と検車区が合同で調査し九三年五月に「事故の推定原因の一つとして輪重のアンバランスが考えられ、輪重バランスの測定の必要がある」と報告している。さらに八月には、輪重バランス測定装置は据え付け工事を含めて二千万円以下で設置できる、と見積もりを出している。 全工場に設置しても1億円以下。営団上層部は、この報告書を無視し、同装置を導入しなかった。営団の車両は新車納入以来一度も輪重バランスを測定されてなかった。これは過失とは言えないまでも、営団の安全軽視の姿勢は明白である。日比谷線の脱線事故は予想できたことなのである。八八年に東急が導入した時か九三年に内部報告が出た時に同装置を導入していれば、今回の事故は起こらなかったであろう。息子も死なずに済んだ。無念である。
レールの研削
レールの研削は、レールの延命、長寿命化が主たる目的である。その他にレールの軋み音を防止する。研削することにより、車輪のレールへの乗り上がりを助長する。つまり、脱線しやすくなるという。これから、どの程度、脱線しやすくなるか試験調査するという。冗談ではない、研削する前に、十分試験調査するのが当然ではないか。ここでも、コスト削減のために安全を犠牲にしている。9日のテレビ朝日の報道によれば、警視庁は、営団がレールの研削を規定以上に行った事実を把握し、過失として立件する方針を固めたとのこと。公判で明らかになるだろう。

問題点
●なぜ、運輸省・営団は現場保存をしなかったのか。
一週間程度、現場保存をして調査するのは当然ではないのか。
●脱線防止ガード
脱線防止ガード設置基準は相互乗り入れしている東急の450R以下に対して、営団は140Rと鉄道界最低の基準であった。営団の安全軽視の姿勢がここにも現れている。

なぜ、営団は輪重アンバランスといいレールの研削といい、十分承知しているのに、脱線しやすくしたのだろう。二度も鷺沼車庫で脱線事故を起こしているのだから、営団の「今まで脱線事故を起こしたことがないから、従来の基準をそのまま使用した」という主張は、その根拠を失っていて、詭弁に過ぎない。せめて、脱線防止ガードさえ設置してあれば、事故は防げた筈である。私の「営団は実際に乗客を乗せて脱線試験を行っていたに等しい」という主張の方が説得力があるではないか。

私は三つの問題点があると思っている。

(1)脱線防止ガード設置基準が140Rと最低で、その見直しを怠ったこと。
 この基準を決めた30年以上前と現在では車両は軽量化されその重量は大幅に軽くなっている。輪重を横圧で除した脱線係数は大幅に変わってきており、恐らくは半分以下になっていると推定されるが、つまり脱線し易くなっているが、この設置基準の見直しをしなかったこと。相互乗り入れしている東急電鉄は450Rと最も厳しい基準を設定している。
(2)輪重管理の導入をしなかったこと。
 1992年に二度、鷺沼車庫で脱線事故があり、営団の内部調査では輪重のアンバランスが主たる原因と解り、現場の技術者は輪重管理を導入すべきと輪重測定装置の見積もりと共に報告書を出している事実があるが、営団上層部はその要望を握りつぶした。東急電鉄は自社の脱線事故を調査した上、1988年に輪重管理を導入し、輪重比を10%以内に抑えるよう基準を設けて輪重管理を行っている。
(3)レールの過剰研削と形状変更
レールの研削は、レールの延命、長寿命化が主たる目的である。その他にレールの軋み音を防止する。研削することにより、車輪のレールへの乗り上がりを助長する。つまり、脱線しやすくなるという。形状も変更している。

(3)のみしか、罪を問えないと言うことのようだ。
(1)と(2)については、旧運輸省鉄道局が統一基準の設定を怠り、鉄道事業者の勝手に任せていた為に、基準違反を問うことが出来なかった。各鉄道事業者に天下りを送り込んでいる鉄道局の責任は重大である。当然為すべき職務を怠って、今回の惨事を招いたのであるから、この点を検察は過失や怠慢行為としてその罪を問えないのであろうか。検察の気概に期待したい。営団の経営陣も同様に現場の声を握りつぶして、安全を軽視してのだから、罪を問えないのだろうか。公判に期待したい。

更には、旧運輸省お手盛りの鉄道事故調査検討会の最終報告とは何なのだろう。輪重のアンバランスが脱線の大きな要因となりうることは、東急電鉄の内部調査や輪重管理導入の事実から、10年以上も前から解っていたことである。それを、さも新しく判明したような報告書を出して、旧運輸省や直轄の営団を擁護するとは、噴飯ものである。事故調の委員は旧運輸省から手当を貰っているから良心を売ったのか、恥を知らない人種なのだろう。どちらにしても、官僚や天下りには司直の手は届かない事になりそうだ。

 

事故後の営団の対応と私の感想

(1)

3月8日事故当日12時半頃、目黒署より私の携帯に電話があり(息子が学校に緊急連絡先として届けてあった)、2時頃目黒署に到着し、息子の遺体を確認した。遺体は東京女子医大に運ばれ、その司法解剖が終わるのを待つ間、5時頃から9時までは近くのレストランで待ち、9時で閉店なので、別の場所を探したが、見つからなくて、結局、私ども夫婦は駆けつけてくれた友人と3人で女子医大の前で風が強く寒い中1時間近く立って待たされた。最悪の気分だった。暖かい場所を営団が用意するくらいしても当然ではないかと思った。

(2)

棺を女子医大から自宅まで運ぶ手配は営団ではなく目黒署が行い、出入りの葬儀屋が運んだ。我々夫婦も同乗した。その費用(約20万円)も私が支払った。

(3)

自宅に到着すると、マスコミは20人近くの人が3時頃から11時頃まで寒い中、外で待っていたのに、営団の人間は一人も謝罪に来なかった。

(4)

翌日の3月9日10時頃、土坂泰敏副総裁以下5人くらい弔問に来て、葬儀費用の負担と葬儀の手伝いの申し出があったが、両方とも断った。自分の子供の葬儀くらい、借金してでも自分の金でやるのは当然と思った。まして、加害者の金など、冗談ではないと思った。通夜も告別式も既に友人(30人位)のお陰で準備は終わっていて、営団に手伝ってもらうことは何もなかった。準備が終わった頃を見計らって来て、「手伝う」なんて、話にならない。全てを取り仕切って当然である。
午後に寺島潔総裁以下5人くらい、また弔問に来た。

(5)

3月10日の通夜当日の昼間、今度は牛込昭洋理事がお供一人連れて弔問に来た。営団は副総裁、総裁、理事と弔問の事実だけを作りたかったのではないかと思った。

(6)

通夜に総裁が私に挨拶をしたいと申し出があり断った。挨拶は既に前日済んでいる。マスコミ向けのパーフォーマンスとしか思えない。

(7)

3月11日の告別式に総合企画室長来て、副総裁が私に挨拶をしたい、式の始まる前に焼香させてくれと申し出があり断った。挨拶は9日に既に済んでいる。なぜ、読経が終わるどころか始まってもいない前に特別扱いで焼香させねばならないのか、息子の命を奪った加害者なのに、遺族の気持ちを全く無視した身勝手で傲慢な態度に私は激怒した。

(8)

通夜・告別式を通して、記帳と焼香をして、中には記帳して焼香もせず、そそくさと帰る異様な人達がかなりいた。受付をした友人が口を揃えて言うのは、非常に態度も横柄で、息子の死を悼むとか、遺族にお悔やみを言いに来たとかいう様子は全くなく、他の人達は皆息子の死を悲しんでくれているのに、来たくもないけど来てやったんだと言わんばかりの態度で、ぶん殴ろうかと思ったとのこと。この人達は全員営団の職員で95人にも達した。殆どの人が平服で、黒のネクタイどころか喪章や腕章すらつけてなかった。事故発生から通夜まで3日間程あるのだから、礼服を用意する時間は十分あった筈だ。ましてや、加害者である。礼を尽くして当然である。総裁を除き、誰一人、香典は持ってこなかった。社員証提示すれば東横線の運賃は無料だから一円も身銭を切っていない。通夜に飲み食いをし、会葬返礼を受け取った者がいたら、これはたかりである。コートを着たまま記帳する人、書きなぐる人、記帳して焼香もせずに帰る人、係りの者が差し出した返礼品を手で払いのける人、手ぶらで来て平然と返礼品を受け取る人等々。息子を殺しただけではあきたらず、その葬儀まで汚した。「何なんだ。なぜ、僕ら遺族をそこまで痛めつけるのか。息子が営団に対して何をしたというのか。料金を払って電車に乗っただけじゃないのか。どうして、息子を虫けらみたいに扱うのか。」
自分達の会社が安全を無視したとんでもない事故を起こし、人を殺し、申し訳ないという気持ちは微塵もなく、上司の命令でいやいや焼香に来ただけで、来たという証拠を残すため記帳は必ずしていった。息子の死を悲しんでくれる人だけが来てくれればいい。しょうがないから来てやったなんて奴は来なくていい、冗談ではない、死者と遺族に対する冒涜である。非礼にも程がある。この連中は人間の心を持っているのか。本当に息子の死を悼み、遺族を思いやる気持ちがあるのなら、記帳などせずに、黙って焼香して立ち去ればいい。僕は非常に怒っている。

営団職員会葬者名

寺嶋 潔  総裁  香典30万円

住所を記帳した人(香典なし)
25人

 

(この人達は何のために自宅住所を書いたのか。返礼品を期待しているのか)

住所を記帳していない人(香典なし)69人

(9)

営団の職員6人が通夜告別式の手伝いをした。引っ越しの手伝いでもあるまいし、60人なら分かるが、6人くらいでは話しにならない。延べ1900人もの人が会葬に来てくれたわけだから。

(10)

迷惑をかけた自宅近所の家、斎場周辺の家に挨拶にも行かなかった。告別式当日、警察官15人で整理に当たってくれた戸部署にお礼の挨拶にも行っていない。これらは全て私どもが行った。

(11)

3月14日初七日に営団職員が3人焼香に自宅に来たが断った。初めて手ぶらではなく、花束を持ってきた。その時、総合企画室長に「寺嶋潔総裁が包んできた香典は個人としてか営団としてか」と聞いたところ、「個人としてではなく営団としてです」との答えであった。
初七日後暫くして、事故相談室ができ、総合企画室のK課長補佐が私ども遺族の担当となったと自宅へ報告に来た。告別式の後は、総裁も、副総裁も、理事も一人も来ていない。(4月15日現在)

全体に営団は、自分達がマスコミに非難されぬ様に、形ばかりの態度で自己保身に終始した。被害者や遺族への謝罪の気持ちや思いやりは微塵も感じられない。葬儀に参列しないと非難されると恐れ、今回の事故対策の指揮をとる木宮進理事(東京都の天下り)が「平服、手ぶらでいいから通夜・告別式に行け、必ず記帳はして来い」と職員に動員を計ったのが事実です。私共への思いやりが全くないから、非礼の限りを尽くしたのです。
どこに寺嶋潔総裁が国会で約束した「誠意ある対応」があるのだろうか。

 

4月25日に以下のメールを総合企画室のK課長補佐宛に送り、回答を求めました。

私がお渡しした文書「事故後の営団の対応」の各項に付き、営団の回答を求めます。各項別でも、まとめてでも結構です。全てそのまま、ホームページに掲載します。私の言い分だけでは、フェアではないので、両方掲載します。4月16日以降の対応についても逐次載せて行くつもりです。
通夜告別式の職員の方々の非礼に関し、総裁が下した或いは下される予定の処分についても、お知らせ下さい。総裁は私に約束されたはずです。私の要求は、当該職員94人の解雇です。それが無理なら、「香典は持って行かなくていい。平服でいいから、とにかく会葬に行け。」と命令した総務部長と担当理事に対する処分(罷免)を要求します。ことは、営団が殺害した私の息子の葬儀です。「ごめんなさい」では済まされません。
(1)新しい組織図を下さい。
(2)S工務部長と面談する機会を作って下さい。
「事故後の営団の対応」文書を付けて、出資者である二階運輸大臣と石原東京都知事に手紙を出す予定です。これも、無論、HPに掲載します。
いずれ質問状を作成し、メールしますが、現段階では以上のことにお答え下さい。

 

5月1日 丸1週間経ったが、営団からは何の返事もないので、この「経過1」をアップロードすることに決めました。

上記以降の対応についてはなるべく早い内に「経過2」に載せます。

5月3日

目黒署より、息子の遺品を返却するので取りに来て欲しいと電話があった。遺品とは、息子の下着、トレーナー、ジャンパー、靴下、靴などの事故当時の着衣である。真っ赤に血に染まった白のトレーナーを思い出した。胸が締め付けられる。堪らない。

5月4日

目黒署より再度電話あり、遺品は連休明けに自宅へ届けるとのこと。目黒署へ行くと、息子の遺体が置かれてあった粗末な霊安室を思い出すので、届けてもらうのは、正直ありがたかった。

5月8日

息子の2度目の月命日。妻と現場に行き、花を供えてきた。息子が可哀想で切ない。妻は現場へ向かって歩いている時から涙が止まらない。K総合企画室課長補佐に現場で会う。営団は、先にK氏が約束していたS工務部長との面談を事故原因が判明する迄、先延ばしするとのこと。事実上の面会拒否である。これで、ターゲットがはっきりした。レール敷設や管理の担当部署である工務部の責任者であるS工務部長は息子の葬儀にも来ていないし、私にも謝罪の一言もない。S氏が、脱線防止ガードの敷設を怠り、もって5人を殺し、30人以上を負傷させた張本人であろう。負傷者には片足を失った人もいる。本人も家族も人生が一変した。反省もなく、乗客の生命を虫けらの如く扱った営団には電車の運行をする資格はない。速やかに、解体し、各路線を私鉄に売却すべきである。東急なら、脱線防止ガード敷設基準は450R以下である、営団の140R以下とは比べものにならないほど安全である。私鉄他社も全て営団より遙かに基準は厳しい。これら私鉄他社が管理すれば、より安全であるのは火を見るよりも明らかである。出資者である運輸省や東京都はどう考えているのだろう。私は、S工務部長との速やかな面談を拒否するのなら、S氏個人に対し損害賠償請求の訴訟を起こす用意があるとK氏に伝えた。本日午後6時過ぎに5月2日に約束した営団の書き直した回答書を自宅へ届けるとK氏が私に言った。電子メール形式の回答書はその後メールするとのこと。明日中にはアップします。

5月9日

昨日夜8時にS相談室長、O総合企画室長、S総合企画室次長、K総合企画室課長補佐の4人が来宅。回答書と寺嶋潔総裁の私と妻に宛てた直筆の手紙を受け取った。両方とも以下に掲載します。席上、葬儀を汚すような指示を出したK総務部長と直属の上司であるK理事がどうして私どもに謝罪し責任を取らないのか再度聞いたが無言であった。この4人が頭を下げても、当の本人達が何ら反省してなければ、どうしようもない。普通不始末をしでかしたら、当人を連れてきて謝罪するのが当然だと思うが、営団の常識はどうも違うようである。謝罪も責任も取らない人達が電車を運行し、大勢の乗客の生命を預かっている。怖い事である。
また、昨日事故現場を訪れた時見かけたのだが、階段下に供花する祭壇を壁をくり抜いて作ってあった。線路近くは危険なので、従来からある月命日とか特別の日に供花する花台とは別に作ったとのこと。いちいち線路脇へ案内するのは大変なので手間を省きたかったのかと疑った。線路脇の花台とこの祭壇には位牌があり、「物故者の霊」と書いてあった。物故者とは単に「死者」という意味である。なぜ「物故者なのか」どうして「犠牲者の霊」と書けないのか。営団は自分達が加害者とはどうしても認めたくないから、遺族の気持ちを踏みにじる「物故者」などという言葉を使った。さらに、花を生ける器は青いポリバケツ2つであった。「なんでバケツなんだ。」どうして、こんなひどい扱いを受けるのか。息子は飛び込み自殺をしたわけではない。正規に運賃を払って電車に乗っただけである。総裁は遺族を痛めつけることはこれ以上しないと4月17日に私に約束した。真っ赤なウソであった。この祭壇を作ったのは工務部と総務部である。またしても、S工務部長とK総務部長の仕業であった。この二人は被害者に恨みでもあるのか。許せない。早く、更迭してもらいたい。次々と心ないことをするから、私の言動もだんだん過激になってきた。

寺嶋潔総裁の手紙(全文)


富久 邦彦 様
   節子 様

拝 復

 この度の日比谷線脱線衝突事故により、最愛の御子息の信介様を失わせてしまいましたことは痛恨の極みであり、誠に申し訳なく、重ねて心からお詫び申し上げます。

 かけがえのない御子息を突然の事故で奪われました御両親様のご無念さと深いお悲しみを思いますと申し上げる言葉もございません。

 信介様はまだお若く、これから人生のすばらしい時期を迎えられようとしていた時であり、大きな夢と期待を持ってそれを見守っていらした御両親様のお嘆きは想像に余りあるものがあり、胸のつぶれる思いがいたします。

 多くのご友人から信介様を偲んで寄せられた弔辞、寄せ書き等をまとめられた「惜別」は、営団内において拝読させていただいておりますが、役職員一人ひとりが、これほどまでにご友人からの人望が厚く、将来を嘱望されていた信介様を失わせてしまいましたことについて、痛切に悔恨の念を噛みしめております。

 さらに、事故後の対応において、さまざまな不手際や失礼な点があり、富久様のお気持を傷つけてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。

 今回の脱線の原因につきましては、運輸省の鉄道事故調査検討会の手で調査が進められておりますが、営団といたしましても一日も早く原因が究明されることを願っており、事故調査検討会の調査に全面的に協力させていただいております。そして事故の再発防止に全力を尽くすことにより、尊い犠牲となられた方々にせめてもの償いをさせていただきたいと存じております。

 営団の全役職員が力を合わせ、一丸となってお客様の信頼を取り戻すため最大限の努力をしていきたいと思いますので、なにとぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 4月25日にいただきました「事故後の営団の対応」における個々のご指摘につきましては、別途回答させていただきます。

                                敬 具

  平成12年5月8日

                            帝都高速度交通営団
                              総裁 寺嶋 潔


「事故後の営団の対応」に対する回答書(全文)


富久 邦彦 様                

4月25日にいただきました「事故後の営団の対応」における個々のご指摘につきまして、回答させていただきます。

営団では、事故以来、亡くなられた方や負傷された方の情報収集に努め、対応を行ってまいりましたが、当初の混乱の中の不手際で、富久様の許にお伺いするのが翌日になってしまいましたことについては、申し開きの余地もなく、深くお詫び申し上げます。そのために事故当日の夜、富久様を寒空のもとでお待たせするなどつらい思いをさせてしまいましたことについて、誠に申し訳なく思っております。

3月9日の午前に副総裁が、午後に総裁が、ご自宅にお伺いし、信介様を失わせてしまいましたことと、事故当日にお伺いすることができなかったことのお詫びを申し上げました。そして、ご葬儀費用は営団で全額負担させていただくことやお通夜、告別式でお手伝いをさせていただきたい旨申し出ましたが、「親として子供の葬儀は自分の費用で行いたい」との強いご意志を示されましたので、営団としては富久様のお気持ちを尊重し、ご葬儀費用は後日お支払いさせていただくよう改めてお願いすることといたしました。

なお、お通夜、告別式のお手伝いについて翌日再度申し出ましたところ、ご了解をいただき、ご葬儀の担当の方とご相談し、6名の者が目立たないようにお手伝いをさせていただきました。

営団としては、この度の事故でお亡くなりになられた方のご葬儀に際して、総裁、副総裁が手分けして参列させていただくとともに、お香典については総裁が営団を代表して持参させていただくことといたしました。また、役職員については、それぞれ数名の者を指定して参列させていただくことといたしました。

富久様につきましては、営団の事故当日の不手際をお詫びする意味からできるだけ多くの職員が参列するよう、お通夜の日の午後に指示をいたしました。その結果、営団からお香典を持たず多くの職員が参列することとなり、その中には服装の準備が間に合わない職員もおりました。

お通夜には総裁が、告別式には副総裁が参列させていただきました。他のご遺族に対しては、総裁と副総裁からご焼香の前に重ねてお詫びさせていただくようお願いいたしましたので富久様にも同様のお願いをいたしました。

これらのことが富久様のお気持ちを傷つけてしまいましたことを申し訳なく思っております。

4月16日、17日の2回にわたり総裁がご自宅にお伺いし、改めて事故のお詫びを申し上げるとともに、これまでの富久様への対応に際し、ご遺族のお気持ちを奥深くまで考えて対応をすべきであったと反省し、お詫びを申し上げました。その際、お支払いいただいたご葬儀費用の一部を持参いたしましたが、お受け取りいただけませんでした。

4月19日総裁がお通夜、告別式に参列いたしました職員全員に対し、お通夜、告別式における職員の行動について厳重に注意するとともに、お香典を持参しなかったことによってご遺族のお気持ちをそこなったことについて、営団全体として反省をしなければならない旨訓示いたしました。翌4月20日、お通夜、告別式に参列いたしました職員の代表6名が富久様のご自宅にお伺いし、お詫びをさせていただきました。その際、参列者全員の本来の気持ちの証として預かったお香典を持参いたしましたが、お受け取りいただけませんでした。

また、ご迷惑をおかけしました富久様のご近所や斎場周辺のお宅、交通整理にあたられた戸部署へのご挨拶については、営団として気がまわらなかったことを反省しております。

なお、3月14日の初七日以来担当の者が富久様にお詫びを申し上げるために度々お伺いさせていただきました。

営団役職員の一人ひとりが、今回の事故の重大性を真摯に受け止め、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするために、事故現場への献花等を交替で行っております。

また、今回の事故を忘れることなく、お亡くなりになられた方のご冥福と二度とこのような事故を起こさない誓いの「碑」の建立に職員、OBから寄付をしたいとの声が上がっており、営団としても早期に実現していきたいと考えております。

今回の事故自体につきましては、現在、運輸省の鉄道事故調査検討会による調査及び警察当局による捜査が進められておりますので、営団としては、これらの結果を待って富久様に見解を申し上げたいと考えております。

 平成12年5月8日

                        帝都高速度交通営団
                        日比谷線列車脱線衝突事故
                            被害者ご相談室長
                               矢嶋 公一


自分達に都合のいいように、本当に作文は上手だが、やることはひどい。
告別式に副総裁が式の始まる前に焼香させろと言ったことは私の聞き間違いだと主張する。何という卑怯なことを言うのか。
S工務部長には「なぜ脱線防止ガードを敷設しなかったのか」聞きたいだけである。事故の原因を聞くつもりはない。面会拒否とは、慇懃無礼で押し通すのか。明日は、弁護士と会う約束である。よく相談することにする。
今日、フジテレビの「とくダネ」の放映を見たが、少しがっかりした。私の意図するところがぼやけている。本当はタレントでもないのだから、テレビには出たくないが、出ないと事故が風化する。私に対する嫌がらせも今後あるかもしれないが、覚悟を決めて出ることにしたものです。同じ事故でなくなった山崎智美さん(私の高校の後輩)のご両親にも代表選手で頑張ってくれと言われている。

先刻、二階俊博運輸大臣と石原慎太郎東京都知事に以下の電子メールを送りました。「経過1」に掲載した「事故後の営団の対応」はここでは省きます。返事が来たら、掲載します。


二階俊博運輸大臣(石原慎太郎東京都知事)殿

営団地下鉄日比谷線・脱線衝突事故について

私は、平成12年3月8日午前9時1分に起きた帝都高速度交通営団地下鉄日比谷線・脱線衝突事故で死亡した富久信介(17才)の父親で富久邦彦と申します。
営団の事故後の私ども遺族への対応につきまして、事故当日の8日より初七日の14日まで営団が私どもに何をしたか、また、しなかったのかを下記にまとめましたので、ご一読いただき、営団の出資者である政府(東京都)として、この営団の対応が、営団の寺嶋潔総裁が国会で約束された「誠意ある対応」に当たるのかどうか、ご見解を賜りたくお願い申し上げます。
尚、5月1日に私は「富久信介・17才の生涯」と題するホームページ(URL: http://www.02.246.ne.jp/~ktomihis/)をオープンし、営団の事故後の対応を公開いたしております。
本メールも全文をホームページで公開します。大臣(知事)のご返事も同ホームページで公開する予定です。
私の電子メールのアドレスは:ktomihis@02.246.ne.jp です。

以上、よろしくお願い申し上げます。

平成12年5月9日


5月14日

10日に、私の中学の同級生の兄貴で、高校の先輩でもある弁護士に会って以来ずーっと悩んできました。この先輩も交通事故で息子さんを失っている。もう一人の息子さんは麻布卒業生である。「お前、訴訟なんか考えるな。何年もかかる。営団との交渉からも手を引け。誰か人に任せろ。後ろを振り返るな、引きずるな。お前が前を向かなければ、奥さんも残った息子も前を向けない。会社だって社員がいるんだろう。どうやったって、死んだ息子は帰ってこないんだ。忘れるしかないんだ。時間が解決する。気持ちのない奴を形だけ謝罪させて何になる。おれはそうした。それでも、女房の気持ちが帰ってくるまで2年近くかかった。」私や私の家族を心配しての忠告でした。頭では分かっているんです。もう二度と会えないことは。何をしても、何をされても、空しいし、悔しいのは。前を向かなくてはいけないのだけど、加害者が何の責任も取らないのは、レール管理の責任者が謝罪もしないのは、悔しいのです。この悔しさが少しでも晴れないと、前に向けないのです。乗客の命を軽視して申し訳ないと謝罪して、責任を取るまでは。それでも、息子は帰って来ないのだけど。空しいのだけど。
私は前を向かなければいけない、それも、なるべく早く。そう考えようと思ってはいます。赤字続きの会社も何とかしないといけない。私も妻もあれ以来涙を流さぬ日は一日もない。スッキリした目覚めの朝など一日もない。二人とも疲れている。そろそろ限界かもしれない。妻の心がこれ以上痛む前に何とかしないと。

9日に共同通信の取材。11日に産経新聞の取材。もう、息子のことは余り書かないで欲しいと思っている。息子は何か偉業を成し遂げたわけでもない、単に有名校に通っていただけで、さも立派な高校生という取り上げ方はありがた迷惑である。営団の責任だけに焦点を当てて欲しい。

12日にO総合企画室長、S総合企画室次長、K総合企画室課長補佐の3人が来宅。事故調査検討会がこれから先月末の試験運転の分析を行うという2頁の報告書を持ってきた。鉄道各社が200R以下の曲線に脱線防止ガードを敷設する日程も書かれてあった。同ガードのメーカーは日本に一社しかなく、生産が間に合わないので、敷設が遅れているのだそうだ。席上、「私は早く信介を吹っ切りたい。そう出来る様に早く営団も責任を明確にし、口先だけでなく、責任を取ってくれ。そうしないと、女房の心が壊れる。」と頼んだ。総裁が私に会いたいという、何も話すことが見あたらない。言いたいことは既に伝えてある。百万べん頭を下げてもらっても気持ちが伝わらない。慰霊碑のこともひっかかる。職員やOBのお金で建てるのか、営団が自身の金で建てるべきものではないのか。営団は事故に責任がないと思っているのだろう。何処に建てるか検討しているという。遺族には何の了解も取ろうとはしない。私の息子を慰霊するのに、どうして遺族に相談がないのだろう。そんな慰霊碑には遺族は誰も行かないだろう。何度言っても、分かっては貰えない。次から次に心ないことをする。なかなか私は前に向けない。疲れてきている。

麻布学園の根岸校長先生から、お手紙を頂戴した。私と妻が寄付したお金で「富久信介スポーツ奨学金」を現在ある奨学金制度の中に創設し、スポーツ活動に関心のある生徒、毎年一人に奨学金を貸与すると言う内容でした。妻共々何度も読み返し、嬉しくて、有り難くて、何度も泣いた。信介の霊前に供えました。信介は二度と戻って来ないけれど、その代償が何人かの後輩の助けになる。なんと心温まる措置であろうか。僅かな金額なので、こちらが恐縮している。随分、悲しみが救われました。

4月29日に横浜市民大会のボクシングがあり、信介が昨年出場したので、開会式で追悼のテンカウントをしてくれました。そこで、大橋秀行会長から、10月11日に横浜文化体育館で、信介の追悼試合を行うと仰って頂きました。信介のスパーリングの相手をしてくれたプロ選手がみんな出場するとのことでした。本当に有り難いことです。

営団にも、麻布学園や大橋ジムのように遺族の心が癒されるようなことをしてもらいたいが、無理なのだろうか。少なくとも、これ以上、心を傷つけるようなことは止めてもらいたい。もう充分過ぎる程、痛めつけられている。何もしない方がましである。

営団職員の実名を削除しました。私も実名でやっているんだからと、余りに腹が立ったから、実名にしたのですが、ネットで実名は危険です。ずっと気になっていたので、すっきりしました。私は覚悟の上です。

 

5月15日

二階運輸大臣からも、石原東京都知事からも何も返事がない。二階事務所と東京都にメールを送ったのだが、読んでくれたのだろうか。所詮、名もない一市民だし、選挙区の住人でもないから、全く関心がないのだろう。9日に送ったのだから、今日で1週間目である。昨夜、新潟の方から電話をもらった。たまたま東京に来て日比谷線に乗り、事故に遭遇し、後頭部をやられ、3日ほど意識不明になり、大手術の末に一命を取り止めたのだという。この方も電話口で営団の対応に怒りまくり、営団は何もしない、一度だけ新潟に見舞いに来て、治療費は払いますと言うだけだという。殆ど病院にも見舞っていないとのこと。何なんだろう。この方の手紙が来たら、了解を取った上、紹介します。大臣も都知事も出資者として何も責任は感じないのか。石原知事は実行力のある人間味のある政治家だと期待していたのだが。

5月16日

5月14日に共同通信の記事が各地方紙に掲載された。私のHPの紹介をしてくれた。有り難いことである。

5月18日

今日の産経新聞の朝刊に私のHPの紹介記事が載った。私の言いたいことが非常に良くまとまっていて、感謝している。

二階運輸大臣と石原東京都知事宛に下記の通り督促の電子メールを送った。


二階俊博運輸大臣(石原慎太郎東京都知事) 殿

2000年5月9日に「営団地下鉄日比谷線・脱線衝突事故について」という電子メールを差し上げましたが、ご返事は頂いておりません。お読み頂けたのでしょうか。
届いてないのでしょうか。届いてなければ再送いたします。
返事をする必要がないとお考えなのでしょうか。運輸省(東京都)は営団に天下り理事を送り込んでおります。営団を食い物にしていて、都合の悪いことは、運輸省(東京都)は知らぬ存ぜぬですか。
ご回答を賜りたく、よろしく、お願い申し上げます。
平成12年5月18日
富久邦彦



また、営団へも下記の質問状を電子メールしました。同じ遺族の横山さんが公開質問状を出されているので、重複しないように、また簡単なものにしました。


都高速度交通営団
寺嶋潔総裁 殿

以下の質問にお答え下さい。
簡単な質問ですので、ご返事は明日19日の午後4時までにお願いします。

脱線防止ガードと安全対策についての質問です。二者択一でご回答下さい。どちらか一方を消して、電子メールでご回答下さい

(1)乗客の安全確保は、どんなものにも優先すると思いますか。
   (回答)そう思う
       そうは思わない
(2)公共輸送機関として輸送の安全を確実にするため、また乗客の生命を預かっているのだから、万全の措置を取る責務があると思いますか。
   (回答)そう思う
       そうは思わない
(3)脱線(摩耗)防止ガードが脱線防止に効果があることは知っていましたか。
   (回答)知っていた
       知らなかった
(4)営団の技術に100%の自信があったとしても、乗客の生命を預かっているのだから、その100%を120%、150%へと少しでも高める責務があると思いますか。
   (回答)そう思う
       そうは思わない

営団の責任についての質問です。二者択一でご回答下さい。どちらか一方を消して、電子メールでご回答下さい。総裁は「民事上の責任は営団にある」と横山さんに回答されたと新聞で読みました。至極当然ですが、その回答を踏まえた上でお答え下さい。

(5)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、職を辞する用意はありますか。
   (回答)ある
       ない
(6)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、自らの退職金を被害者救済に充てる用意はありますか。
   (回答)ある
       ない
(7)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、自らの役員報酬の何割かを被害者救済に充てる用意はありますか。
   (回答)ある
       ない
(8)営団は「民事上の責任」をとる意味で、役職員の給与をカットし、それを被害者救済に充てる用意はありますか。
   (回答)ある
       ない
(9)営団は「民事上の責任」をどのようにとるつもりですか。
   二者択一では、ありません。ご回答下さい。

以下は別件です。

先月17日に総裁に「これ以上、遺族を苦しめることはしないでくれ。遺族の気持ちが少しでも癒されるようにしてくれ」とお願いし、総裁もそのように約束して頂いたものと理解してますが、この約束はほごになさった様ですが、どういうおつもりですか。
先週5月8日の息子・信介の月命日に事故現場を訪れましたが、その際に線路へ上がる階段下に、壁をくり抜いて祭壇が設けられておりました。その祭壇と線路際の花台には「物故者の霊」と書かれた白木の位牌がありました。祭壇の脇に青いポリバケツが2つあり花束が入っておりました。これは勿論、総裁もご存じですね。ご承知の上でなさった事だと理解しております。この事故現場には故人の遺族や知人が訪れる訳ですから、遺族がその祭壇や位牌を見て、どう感じるか等は当然考慮に入れた上の事ですね。
(1)なぜ陽の当たらぬ、あんな暗い所に粗末な祭壇を作ったのですか
(2)祭壇の向きは、当然、何か宗教的な意味を持つと思いますが、どのようにして決めたのですか。
(3)なぜ事前に遺族の了解を取らなかったのですか。私の息子の霊を祭るのにどうして、私に相談しなかったのですか。
(4)位牌は、なぜ日比谷線事故犠牲者の霊ではなくて、「物故者の霊」なのですか。あるいは、一人一人の名前のある、「富久信介の霊」ではないのですか。
(5)位牌ですから、当然、しかるべき由緒ある寺の高僧が魂を入れてくれたと思いますが、何という寺の、何という僧侶ですか。
(6)総裁ご自身の家の墓も、花を生けるのに、ポリバケツを使うのですか。

以上、明日午後4時までにご回答下さい。

富久邦彦

5月19日

昨日、自宅に二階運輸大臣(毛筆)と石原都知事(ワープロ打ち)から郵便で返事が届いてました。電子メールで欲しかったのですが、ここに載せるのは、時間がかかって大変です。以下に全文を掲載します。
中身のない手紙で残念です。私の質問の答えはありませんでした。引き続き回答を求めていきます。芥川賞作家の石原知事が、このような駄文しか書けないようでは、落ちたものです。残念です。心に全く響きません。


拝復
富久様からのメール拝読させていただきました。
今回の事故により、前途洋々たる最愛のご子息信介様を十七歳のの若さで亡くされた富久様のお気持ちをお察しするとき、同じ子を持つ親として誠に無念であり、哀悼の涙を禁じ得ません。
私は大臣就任以来、交通運輸の基本は安全の確保にあることを、国会の場でも縷々訴え、職員ともども、また事業者にも広く呼びかけて、安全確保のためのあらゆる施策を講じて参りましたが、不幸にして今回の事故が発生し、多くの死傷者を出したことは誠に痛恨の極みであります。
営団に対しては、事故発生後直ちに、ご遺族はじめ被害者の方々への誠意ある対応に万全を期するよう指導してきたところでありますが、富久様の書かれた「事故後の営団の対応」を読ませていただくと、営団の対応に必ずしも十分な配慮が行き届かない面があったことも否定できず、結果として富久様の意に沿えず、不信の念を抱かせてしまったことは遺憾であり、誠に残念であります。メールをいただいて、再度直ちに営団総裁を呼び、あらためて誠意ある対応について重ねて強く指示したところであります。
今後、信介様の死を無にすることのないよう、引き続き、今回の事故の徹底した原因究明を急ぐとともに、二度とこのような事故がおきることのないように、安全の確保及び事故の再発防止に全力を尽くして参りたいと考えておりますのでご理解を賜りたいと存じます。
末筆ながら、謹んでご子息信介様のご冥福をお祈り申し上げ、富久様のメールへのお答えとさせていただきます。               敬具
平成十二年五月十五日              運輸大臣 二階俊博
富久邦彦様


富久邦彦様
拝復
去る3月8日、営団地下鉄日比谷線において発生した脱線衝突事故により、ご子息であられる信介様がお亡くなりになり、心からお悔やみ申し上げます。
メールを頂き、富久様のホームページも拝見させて頂きました。信介様を失われたご両親の無念さと深い悲しみを感じずにはいられません。
東京都といたしましては、都民の安全を守る立場及び出資者としての立場から、事故直後営団に対し文書をもって、早急な事故原因の究明と従来にも増した安全管理体制の強化を図り、再発防止に万全を期すよう、強く要望しているところです。
頂きました富久様のメールの中では、「事故後の営団の対応」について様々なご指摘がございました。東京都といたしましては営団に対して、被害にあわれた方々のそうしたお気持ちに十分配慮しながら、誠心誠意対応するよう強く求めるとともに、二度とこのような事故を起こさないよう徹底した事故原因の究明を行い、再発防止に万全を期すよう、要望してまいります。    敬具
平成十二年五月十七日             東京都知事 石原慎太郎

早速、疑問点につき、二階運輸大臣(nikai@gold.ocn.ne.jp)と石原都知事(governor@metro.tokyo.jp)に下記の電子メールを出しました。


運輸大臣 二階俊博 様
ご丁寧な、ご返事ありがとうございます。
さて、二、三疑問点がありますので、お答えいただければ幸いです。
「安全確保のためのあらゆる施策を講じて参りました」
質問:脱線防止ガードの敷設基準は、営団では140R以下です。
一方、東急電鉄では450R以下です。東急の基準は営団の3倍以上厳しいものです。この緩い基準を運輸省は認めてきたのです。運輸省直轄の営団(総裁以下運輸省の天下りが沢山います)です。どうして、「あらゆる施策を講じた」と断言できるのですか。そう仰るのであれば、営団の基準も東急と同程度にするよう指導すべきであったのではないですか。過去に脱線事故がなかったからでは言い訳になりません。事故は、ふつう、過去に事例がないのが当たり前です。それを未然に防ぐことが求められているのです。お客さんの生命がかかっているのです。
「営団の対応に必ずしも十分な配慮が行き届かない面があったことも否定できず」
質問:これが、大臣のご返事ですか。もし、大臣のお子さんに不幸があったとして、その葬儀に、加害者が、平服手ぶらで現れて、無礼を働いたとしても、「必ずしも十分な配慮が行き届かない」とお認めになるのですか。これが大臣の常識ですか。そのような方と理解してもよろしいのですね。命を奪った加害者が命を奪ったばかりでなく、その被害者の死をも侮辱したのですよ。
「メールをいただいて、再度直ちに営団総裁を呼び、あらためて誠意ある対応について重ねて強く指示したところであります。」
質問:この、素早い対応は、さすがだと感謝します。ですが、「誠意ある対応」とは大臣のお考えではどういうものですか。「誠意ある対応」の定義を知りたいのです。私は裏切られ続けておりますので、定義が分からなくなっています。お答えにくければ、私のケースを例にして下さい。事故当日から通夜告別式・初七日まで、営団はどう「誠意ある対応」をすべきだったのですか。
以上、選挙前にして、お忙しいとは存じますが、出来ましたら、3,4日でお答え頂けたら幸いです。私のホームページはマスコミも市民も注目しております。お答えは電子メールでお願いします。
重ねて、ご返事御礼申し上げます。
平成12年5月19日
富久邦彦拝

東京都知事 石原慎太郎 様
ご返事受け取りました。ありがとうございます。
残念ですが、私の質問の答えになっておりません。芥川賞作家である知事が文章を読み違えるとは、信じられません。失礼ながら、ご返事のような駄文を知事が直接書いたとは思えませんが、知事の名前で頂いたものですから、仕方ないですね。
私は、私ども遺族に対する事故後の営団の対応が誠意あるものだったかどうか、知事の見解を聞きたかったのです。お答えになる義務はあると思います。今回の事故対策の指揮を取ったのは東京都の天下り理事です。
お答え頂けなければ、質問を変えます。「誠心誠意対応するよう強く求める」とありますが、「誠心誠意対応する」とは具体的にどういうことですか。定義を教えて下さい。私は裏切られ続けておりますので、定義が分からなくなっています。お答えにくければ、私のケースを例にして下さい。事故当日から通夜告別式・初七日まで、営団はどう「誠意ある対応」をすべきだったのですか。以上、お忙しいこととは存じますが、出来ましたら、3,4日以内に電子メールでご回答いただければ幸いです。脅しのようなことを申し上げて恐縮ですが、私のホームページはマスコミも市民も注目しております。
平成12年5月19日
富久邦彦拝

5月22日

19日午後7時30分、O総合企画室長、S同次長、K課長補佐の3人が来宅し、18日の私の質問状に対する回答を受け取った。私の質問の答えになっていない。聞いた結果は、まとめると次の通り。
(1)乗客の安全確保は、どんなものにも優先すると思いますか。
   (営団の回答)答えられない。
(2)公共輸送機関として輸送の安全を確実にするため、また乗客の生命を預かっているのだから、万全の措置を取る責務があると思いますか。
   (営団の回答)答えられない。
(3)脱線(摩耗)防止ガードが脱線防止に効果があることは知っていましたか。
   (営団の回答)答えられない。
(4)営団の技術に100%の自信があったとしても、乗客の生命を預かっているのだから、その100%を120%、150%へと少しでも高める責務があると思いますか。
   (営団の回答)答えられない。
(5)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、職を辞する用意はありますか。
   (営団の回答)ない
(6)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、自らの退職金を被害者救済に充てる用意はありますか。
   (営団の回答)ない
(7)営団の役員(総裁、副総裁、理事)は「民事上の責任」をとる意味で、自らの役員報酬の何割かを被害者救済に充てる用意はありますか。
   (営団の回答)ない
(8)営団は「民事上の責任」をとる意味で、役職員の給与をカットし、それを被害者救済に充てる用意はありますか。
   (営団の回答)ない
(9)営団は「民事上の責任」をどのようにとるつもりですか。
   二者択一では、ありません。ご回答下さい。
   (営団の回答)損害賠償責任に限定される。それ以外の責任はない。

(1)〜(4)のこんな簡単な質問にも答えられない。信じられない。乗客の生命はどうも二の次のようである。


富久 邦彦 様
5月18日のメールによりいただきましたご質問にお答えいたします。
富久様からご指定の二者択一では、営団の意図が十分ご理解いただけないおそれがありますので、次のような形で回答させていただきます。
1.鉄道事業者としてお客様を安全にお運びすることが最大の使命であることは言うまでもありませんが、今回事故を起こしてしまいましたことは誠に申し訳なく心よりお詫びを申し上げる次第です。また、今回の事故につきましては、その事実を厳粛に受け止め、再発防止に全力を尽くすことにより、失われた信頼を一日も早く回復するよう努めていきたいと考えております。
脱線防止ガードにつきましては、従来主として曲線の外側のレールの摩耗を防止するため設置しておりましたが、レールの改良、塗油器の改善等が進んでまいりましたので、摩耗防止の機能は次第に意味を失ってまいりました。一方、PCまくら木の導入、レール締結装置の改良、まくら木設置本数の増加、自動列車制御装置(ATC)の導入等により安全性が向上しましたので、営団では摩耗防止ガードレールの設置基準を緩和してまいりました。
なお、昭和56年以降は脱線防止ガードと名称を変更いたしました。
しかし、このたび事故が発生いたしましたので、その事実を厳粛に受け止め、今までの基準にとらわれず、緊急対策として、運輸省の指示に基づき脱線防止ガードを設置しているところであります。また、安全確保のため、さらなる努力をすべきことは当然のことと考えております。
2.横山様には「今回の事故は、営団の営業線で発生した事故であり、事故の原因等については調査中でありますが、第三者の行為により発生したものではありませんので、民事上の責任につきましては、営団にあると考えております。」とお答えいたしました。その意味は損害賠償責任が営団にあるということであります。今後、誠意を持ってお話し合いをさせて頂きたいと考えております。その他のご質問は民事上の責任とは別の問題と考えております。
3.事故現場の献花台は、営業線に接し、かつ、営業線との間に仕切のない用地に設けてあります。このため、安全管理上、ご遺族の方の献花に際しましては、専任の担当者がご案内しております。
また、営団では事故でお亡くなりになられたお客様のご冥福をお祈りするとともに、事故を厳粛に受け止め再発防止を誓うため、役職員全員が交替で献花をすることとしました。これを専任の担当者を配置せずに実施するため、安全管理上支障のない現場近くに予備的な役職員専用の献花台を設けました。しかしながら、その内容に十分な配慮が行き届かず、富久様のお気持ちを傷つけてしまいましたことは申し訳なく思っております。
今後は、安全管理に配慮しながら営業線に接した献花台で全役職員が献花できるようにいたします。
なお、営団では、恒久的な慰霊の碑の建立を検討しており、今後ご遺族の方とご相談させていただきます。
平成12年5月19日   帝都高速度交通営団 総裁 寺嶋 潔

上記3についても、私の質問には(1)しか答えていない。「予備的な役職員専用の献花台」ということである。位牌「物故者の霊」はこの献花台と線路際の献花台の2カ所にあった。位牌は僧侶が魂を入れる行為をして初めて位牌の意味を持つ。その行為がなくては、ただの板きれである。だから、どうしてもいつ、何という寺の何という僧侶に魂を入れてもらったのか知りたい。
再度総裁へメールを送った。

都高速度交通営団
寺嶋潔総裁 殿
貴殿のご回答に対する、さらなる質問です。お答え下さい。
(1)「営団では摩耗防止ガードレールの設置基準を緩和してまいりました」とありますが、この設置基準を緩和すると、どういうメリットあるいはデメリットがあるのですか。教えて下さい。
(2)位牌「物故者の霊」に関するお答えを頂いておりません。お答え下さい。私の息子・信介の霊なのだから、営団が命を奪った、何の罪もない乗客の霊なのだから、貴方が仰るように「誠心誠意」対処して頂けたものと理解しております。以下に質問を再記載いたします。必ず、お答え下さい。
 1.位牌は、なぜ日比谷線事故犠牲者の霊ではなくて、「物故者の霊」なのですか。あるいは、一人一人の名前のある、「富久信介の霊」ではないのですか。
 2.位牌ですから、当然、しかるべき由緒ある寺の高僧が魂を入れてくれたと思いますが、何という寺の、何という僧侶ですか。
「予備的な役職員専用の献花台」とありますが、営団内部では乗客の命なんてどうでもよいから粗末で、位牌がないと形がつかないから、取りあえず「物故者の霊」と書いて、位牌の形をした板きれを置いたものと受け取れますが、事実はそういうことなのですか。お答え下さい。
明日23日の午前中までに電子メールでお答え下さい。
富久邦彦

5月24日

昨日、O総合企画室長、S同次長、K課長補佐の3人が来宅し、私の電子メールに対する総裁の返事を持参した。前回もそうだが、今回もコピー用紙にワープロで打った総裁の名前はあるが印鑑のない、メモ同様のものであった。何なんだろう。またしても、私の質問の答えはなかった。全てを正当化し、何ら営団に落ち度はないという態度に終始し、誠意のかけらもない。「物故者の霊」という位牌は、位牌ではなく、位牌の形をした「慰霊柱」だと言う。何という詭弁だ。死者を愚弄して、総裁寺嶋潔と言う人間は良心がないのか。なぜ素直に謝らないのだろう。5人の命を奪い、60人に重軽傷を負わせ、誰も責任を取らないし、賠償責任以外に何の責任もないという。金で人間の命を買うというのか。冗談ではない、私の息子の命は売り物ではない。3月8日以来、毎日が地獄だ。金などいらない、息子を返してくれ。
営団にも、心ある人はいるだろうと思って、これまで接してきたが、組織防衛に終始し、乗客の命も息子の命も虫けら程度にしか考えてないことが明確になった。サリンで亡くなった職員は丁重に扱い、乗客の命は粗末に扱う。何という組織だ。組織のためには、良心を捨てる、こんな人間にはもう会いたくない。悔しさと空しさしか残らない。
あの日以来、私も妻も食欲がない、気分の晴れる日は一日もない。どんよりとした日々が続いている。

5月26日

昨日、K課長補佐より24日の回答をメールしなくて良いか、また線路際に献花台を新しく作るように業者に発注済みなので、図面を見て欲しいと電話があった。24日にも図面を持ってきたのだが、私は回答書を一読して、上記のようにごまかしに激怒して、回答書も図面も突き返していた。図面を見たところで何にもならない。まだ、分かっていない。何度言ったら分かるのだろう。献花台に献花するのは遺族とその友人である。どうして、発注する前に、事前に遺族の了解を取ろうとしないのか。遺族やその友人のために作るのだろう。それなのに、なぜ事前に「どこに、どういう風に作ったらよいか。こういう案ではどうか」とか相談がないのだろう。営団が、世間に非難されぬように、自己保身のために作るから、発注後に「こうやって作ってやったんだ」と言わぬばかりのことになる。私の息子の霊を慰めるために献花するのに、どうして父親の私の了解を事前に取ろうとしないのだろう。遺族のためではないのである。自分達が形を整えるために作るのだ。

「脱線防止ガード設置基準を緩和すると、どういうメリットあるいはデメリットがあるのですか。」という質問の回答は「メリット、デメリットではなく、必要性から、緩和した」とのことでした。答えになっていない。緩和する必要があったとはどういうことだろう。コスト削減、合理化のために決まっているのに、どうして、ごまかそう、ごまかそうとするのだろう。

二階俊博運輸大臣から電子メールで下記のようなご返事を頂いた。


富久 邦彦 様
 富久様からの2回目のメールを拝読させていただきました。
再度メールをいただき、今回の事故により、最愛のご子息信介様を亡くされた富久様やご遺族の悲しみの深さを、あらためて痛感しております。 
 私は、大臣に就任した際、安全確保のためのあらゆる施策を講ずるべく、省内に「運輸安全戦略会議(10月12日設置)」を設置し、全国の事業者13万社による「輸送の安全に係る緊急総点検(11月)」及び「年末年始における輸送等に関する安全総点検(12月10日〜1月10日実施)」等を実施するなど、鉄道分野のみならず運輸事業全般の安全確保に積極的に取り組んで参りました。 脱線防止ガードの設置基準につきましては、日比谷線建設当時の昭和30年代においては、国の技術基準は定められておりませんでしたが、その後、昭和62年4月に、普通鉄道構造規則等において、「曲線半径の小さい曲線又は急勾配の区間にある曲線に脱線防止ガード等を設けること」と規定されました。この間、鉄道事業者はそれぞれ脱線防止ガード等の設置基準を細則として定めてきているところです。
私としましては、今回の事故を踏まえ、事故調査検討会の緊急措置の提案を受け、既に全鉄道事業者に対し、当面の緊急措置として、半径200m以下の曲線部に脱線防止ガード等を設置するよう指示致しましたが、今後、更に事故調査検討会の検討を踏まえつつ、鉄道事業者に対する指導を行う等適切に対処して参りたいと考えております。
また、今回の事故後の営団の対応について申し上げれば、営団職員が、ご子息信介様の通夜・告別式に、信介様の死を侮辱するために参列していたとは、私としてはとても信じられることではありませんが、もしもその時の営団職員の服装や行動がそのような誤解を生じさせたとすれば、誠に残念であり、営団としても、深く反省しているものと承知しております。
 誠意ある対応とは、相手の立場を十分に理解し、相手に対してまごころを表すことであると思います。最愛のご子息を失くされた富久様やご遺族の方々のお気持ちを考えれば、どれほど誠意を尽くしても尽くしきれるものではないと思いますが、今回の事故の当日からご子息信介様の通夜・告別式、初七日までの営団の対応については、富久様始めご遺族の方々のご意思に沿うことができなかったという意味で、十分ではなかったのではないかと考えております。
 先の手紙でも申し上げましたように、私としては営団総裁に対し、あらためてご遺族始め被害者の方々への誠意ある対応について、重ねて強く指示したところでありますが、今後とも営団の対応をしっかりと見守って参りたいと考えておりますのでご理解を賜りたいと存じます。                      平成12年5月26日 運輸大臣 二階 俊博

私の返事を掲載します。

運輸大臣 二階 俊博 様
ご丁寧なご返事頂きまして、感謝申し上げます。
大臣のお気持ちは十分私に伝わりました。ありがとうございます。
ただ、どうしても以下の文言には承伏し兼ねます。

「 当日からご子息信介様の通夜・告別式、初七日までの営団の対応については、富久様始めご遺族の方々のご意思に沿うことができなかったという意味で、十分ではなかったのではないかと考えております。」
「富久様始めご遺族の方々のご意思に沿うことができなかったという意味で」どうしてこのような言い方になるのですか、「一般社会常識として不適切であった」と言えないのでしょうか。私のわがままで申し上げているのではないのです。通夜告別式当日に受付や接待をした友人全員が怒りを覚えるような行動であったのです。営団の回答書にも同様の言い回しがありました。何か自分達を正当化しようとしているとしか思われません。私以外の場合には、あの営団の行動は理にかなって当たり前だと仰るのでしょうか。
「どれほど誠意を尽くしても尽くしきれるものではないと思います」とありますが、これでは、「誠意を尽くしたんだが、私がそれ以上のものを求めていた」と私を非難しているように受け取れます。誠意など最初からかけらもなかったのです。組織防衛と自己保身のため、世間に非難されぬように行動したのです。私ども遺族のためではなかったのです。だから、私は怒っているのです。気持ちがないのです。
「誠意ある対応とは、相手の立場を十分に理解し、相手に対してまごころを表すことである」このような気持ちがあったのなら、遺族や友人が怒りを覚える行動はありえません。大臣のご返事の中の、自己保身ともとれるような文章は、大臣ご自身ではなく、お役人が書いたのでしょう。そう、理解しております。ですから、もうご返事は結構です。お役人には、組織となると、思いやりや一般社会常識が通じない事は身につまされております。
営団の寺嶋潔総裁にも申し上げましたが、遺族や被害者は今回の事故そのもので既に参っております。事故後にも痛めつけられたのでは堪りません。どうぞ、遺族や被害者の心が癒されるような「誠意ある対応」をして下さい。これ以上傷つけるような対応だけは決してしないように営団に伝えて下さい。
その他、二、三の要望を書き添えます。
(1)少なくとも、1週間くらいは、現場保存をして調査をして下さい。
   なぜ、詳細な調査や再現実験を行う前に、レールを撤去したのか。
   これでは、原因の調査が的確に出来るわけがない。
   中目黒へは渋谷経由行けるのだから、恵比寿駅で折り返し運転をすれ
   ばよい。運輸省が故意に調査出来ぬようにしたとしか思えない。
(2)事故調査検討会を独立した第3者機関として、法的な権限を与えた
   ものにして下さい。
(3)脱線防止ガードは、せめて、東急並に450R以下には設置するよう
   に統一基準を運輸省で決定して下さい。費用の問題があるのなら、
   「公共事業」として補助をして鉄道各社に設置させて下さい。無用の
   箱ものや道路を作るより、余程、有益だと思います。大惨事が起こる
   前に手を打って下さい。
   こんな悲しい思いは私どもで終わりにして下さい。
   大臣のお力でお願いしたい、と思います。
お忙しいでしょうから、ご返事を求めることはしませんが、大臣ご自身にお読みいただければ幸甚です。
ご返事重ねて御礼申し上げます。
平成12年5月26日                 富久邦彦拝


石原慎太郎東京都知事の返事はまだ来ていません。

5月29日

26日の午後6時半頃、O総合企画室長、S同次長、K課長補佐の3人が来宅し献花台の図面を見てくれと言う。発注済みは間違いで、まだ発注してないと言うことであった。献花台の位置、向き、仕様共に私は了承できない。既存の献花台は線路際にあり、線路に直角に向いている。以前から、違和感があり、どうして、現場に向いてないのだろうと思っていた。息子は現場で即死したのである。病院にも運んでもらってない。負傷者を全員病院へ搬送終了するまで、そのまま放置され、その後、目黒署の霊安室に運ばれた。息子の魂は現場近くでうろうろしているのではないかと思う。既存の献花台の向きは事故現場とは45度から60度位、違う。私どもはその献花台に花を供えた後、献花台を背にして、現場に向かって手を合わせた。私は、新しい献花台はなるべく事故現場に近く、しかも現場に向けて作ること、事故を忘れないためにも電車の中からも花がよく見えることを条件にした。新しい献花台は、線路際ではなく、引き込み線よりも外側に、電車から花が見えないように屋根を作り3方を囲った背の低いものだという。なるべく、目立たぬように作りたいという意図が見え見えである。営団は、事故はなかったこととして、早く忘れたいのだろう。冗談ではない。私は自費で、息子のために、祭壇を作り、現場近くに置いて、お参りしようと考えている。慰霊碑も自費で作り、現場の上下線のレールの間に建ててもらおうと思っている。

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。本当にこのホームページを読んだのだろうか。まさか、天下の石原都知事が嘘をつく訳はないと思うが、都知事に直接確かめる手段を考えなければならない。

5月31日

石原慎太郎東京都知事からは今日も返事が来ない。東京都も天下り理事をさんざん送り込んで、甘い汁を吸ってきて、都合が悪いことは見て見ぬ振りであろうか。事故後の指揮を取ったのは東京都からの天下りである木宮進理事である。回答する義務はあると思う。石原都知事もパーフォーマンスだけの人なのであろうか。営団には「誠意ある対応」を迫っておいて、ご自分の誠意はどこにあるのだろうか。催促のメールを送った。

明後日、6月2日の午前7時から10時までのラジオ番組(文化放送)に出ることになった。8時過ぎに放送になると言う。時間の制約があるが、言いたいことは遠慮なく言うつもりだ。

6月2日

ラジオ番組(文化放送)に出演したが、言いたいことの半分も言えず、落ち込んでいる。肝心なことを言う前に番組が終わってしまった。

6月5日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ないので、督促のメールを送った。これから返事が来るまで、毎日送るつもりだ。

先日、知人のお嬢さんが事故現場に献花すべく、中目黒駅で場所を聞いたところ、駅員は東急の社員で、現場には案内できないので、花は預かるように営団に言われている。いちいち案内するのは面倒だから、後で電車の運行が終わった夜中に営団職員が花を現場に供えるという。とにかく現場に供えたいと言うと、東急の駅員が営団に電話したが、預かっておいてくれとの返事であった。再度、強行に申し入れしたら、また駅員が営団職員と電話連絡をとって交渉の末、やっと現場へ向かうことが出来たという。何という無礼な連中だ。営団職員が本当に花を供えてくれるかどうか、どうして分かる。またポリバケツにでも入れるつもりか。面倒だから、どこかに捨てないとも限らない。わざわざ遠い所から、現場に献花しに来たというのに、駅で門前払いをするとは。自分で現場に花を供えなければ、何の意味があるのか。そうでなければ、花屋に届けさせればいい。わざわざ出向きはしない。何度話しても分からぬ連中だ。おざなりに、花を供えればそれでいいと思っている。全く乗客の命を息子の命を何とも思っていない。死人は文句を言わないから、粗末に扱うのか。自分達の都合しか考えぬから、こう言うことになる。自分達が殺した人々の遺族・知人・友人のために行動する、それが誠意ではないのか。現場に行っても、職員から根ほり葉ほり素性を聞かれたという。どこまで無礼を働けば気が済むのか。私の名前を出したら、急に態度が丁重になったという。献花しに来るのは遺族か知人・友人に決まっている。なぜ、人によって、態度を変えるのか。なぜ若い女性の素性をしつこく聞くのか。訳が分からない。寺嶋潔総裁は、なぜこんな指示を出したのか、どこまで常識がないのか。何の罪もない乗客を殺しておいて、反省のかけらもない。この連中は人間の心があるのか。

6月7日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。

6月8日

月命日なので、現場に花を供えてきた。息子の無惨な死に顔が浮かんできて、不憫で涙が止まらない。新しい献花台の土台が据え付けられていた。私が承諾していない場所に勝手に作ろうとしている。私は絶対に認めない。
石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(6通目の督促メールを送った)

6月9日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(7通目の督促メールを送った)

6月11日

百ヶ日の法要を行った。

6月12日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(8通目の督促メールを送った)

6月13日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(9通目の督促メールを送った)

6月14日

石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(10通目の督促メールを送った)政治家・役人の対応とはこんなものなのか。都知事の最初の返事では営団には「誠心誠意対応するよう強く求める」とあったが、都知事はいつ、どういう形で求めたのか。一切、私には知らされない。本当は何もしてないのだろう。営団に対し「誠意」を求めておいて、自分の誠意はどこにあるのか。随分と身勝手な人である。営団に天下り理事を送り込んでいて、何の責任も感じないのだろうか。

6月15日

百ヶ日なので、現場に花を供え、お参りしてきた。息子は現場で即死だったので、お参りは欠かせない。早く、現場沿いの引き込み線を撤去し、お花畑にして欲しい。鍵付きの扉も撤去し、オープンスペースとして、いつでもお参りに行けるようにして貰いたい。営団の平成11年度の営業利益は517億円だという。前年度比15.7%の増益である。脱線防止ガードを東急並に敷設したって十分おつりが来る。乗客の安全のためなら、誰も文句は言わないと思う。
石原慎太郎東京都知事からはまだ返事が来ない。(11通目の督促メールを送った)

6月16日

昨夜O総合企画室長、S同次長、K課長補佐の3人が百ヶ日だからと花を持ってきた。追い払うのも気の毒だから、花は受け取ったが、そのままゴミ箱行きである。息子の霊前に、全く非を認めない加害者の花など飾れない。非を認めぬどころか、一切質問にも答えない、S工務部長にも会わせない、私どもを馬鹿にするだけ馬鹿にして、賠償責任以外一切責任はないと明言している営団の人間など、二度と会いたくない。賠償金など一切いらない、息子を元通りにして返してくれればそれでいい。

 

6月20日

石原慎太郎東京都知事にメールを出してから1ヶ月が過ぎたが、まだ返事が来ない。(15通目の督促メールを送った) 無視を決め込んでいるんだろう。明日、新聞社の取材があるから、石原都知事の姿勢について、言わせてもらうつもりだ。かつては運輸大臣もやった人なのに、こんなに不誠実だとは。
朝起きてから寝るまで、妻共々、胸を締め付けられる感じが抜けない。漠とした不安感と「ちくしょう!なぜ息子が死なねばならなかったのか」という気持ちが続いている。気持ちを切り替えることが出来ない。いつまで続くのか。もう、無理に前を向こうとは思わなくなった。忘れられないことは忘れられない。自然体で行くしかないのだろう。息子を殺された悔しさと悲しみは、3ヶ月以上経っても、いささかも変わらない。
業務上過失致死罪は最高刑が5年の懲役である。先日も酔っ払い運転の上、追突し2人の幼児を生きたまま焼き殺したトラックの運転手に4年の懲役刑が宣告された。確か4月に歩道を歩いていた19歳の大学生2人が酔っ払い運転の車に跳ねられ死亡したが、これも業務上過失致死罪であった。ひどい話だ。米国なら第2級殺人罪である。死刑にはならなくても、終身刑だろう。日本の法律はドイツをまねたものだから、業務上過失致死罪などというのが存在する。明治時代に制定された法律だという。あまりにも量刑が軽すぎる。死刑か終身刑が至当だと思うが、終身刑は日本にはない。平均15年で出所する無期懲役か死刑しかない。日本の法律も司法制度も形骸化している。どう考えても、日本の裁判所は加害者を擁護するための存在になり下がっている。被害者も遺族もたまらない。裁判官も検察官も弁護士も自分の家族が被害にあってみないと分からないのだろうか。裁判所が裁けないのなら、自分で裁くしかないかと思っても不思議ではない。
息子の事件も立件できたとしても、業務上過失致死罪で、執行猶予付きだろうから、殺され損の結果しか残らないであろう。釈然としない。

6月27日

6月25日の読売新聞朝刊に運輸省鉄道事故調査検討会の中間報告が載った。四項目程度の悪条件が競合して作用した「乗り上がり脱線」だと断定し、人為的なミスはなかったとしている。結局、事故原因を特定していない。予想通りである。運輸省お手盛りの事故調査検討会が運輸省や営団が不利になるような結論を出す訳がない。最終報告書でも、当然、「予測不能の事故」か「不可抗力の事故」として、誰も責任を取らずに済む結論であろう。事故調査検討会は運輸省や営団を擁護し正当化するための形式的な機関である。身内(運輸省)が身内(営団)を調査し、真の原因を隠蔽する。何と云うことだ。営団のミスだとすれば運輸省は監督責任を問われるから、ミスがあったなどという結論を出す筈がない。警視庁が業務上過失致死傷事件として捜査しているから、身内から縄付きを出さぬように、警視庁の捜査終了前に、「人為的なミスはなかった」という中間報告を公表したのであろう。運輸省内にはマスコミ各社の記者クラブがあり、運輸省からニュースを貰って報道しているから、マスコミも判っていても運輸省を批判する記事が書けないのが現状である。役人は自分達に都合のいいように世論操作が出来る構図である。
報道によれば、左右の車輪にかかる荷重のアンバランス(輪重差)とレールの研削が問題視されている。輪重差が大きいと脱線の危険性が高まる。今回の脱線車両はこの輪重差が異常に大きかった。「運輸省鉄道局では中間報告を受け、輪重差に一定の基準を設けることを検討する」、また、「これまで基準がなかった輪重差について新車納入時の最低基準を設けることなどを検討する」という。輪重差が大きいと危険なことは鉄道技術者にとって、常識である。鉄道局は初めて判明した様なことを言っているが、おかしな話だ。現に、東急電鉄では検車区や工場に輪重差検査装置を導入して検査を行っている。東急では輪重差を10%以下にするという基準を設けている。輪重差が大きいと脱線の危険があるから、東急では検査装置を使って定期的に検査し、輪重差を低く抑える努力をしている訳である。東急が何年も前から行っていることを鉄道局は知らないと言うのだろうか。勿論、営団は知っていて、輪重差検査装置の導入をしなかったのである。92年12月に鷺沼電車区で脱線事故があり、軌道区(現工務部)と電車区(現車両部)調査を行い、「輪重のアンバランスが原因の恐れあり」とする報告書を93年5月に作成し、輪重差検査装置を導入すべく、見積もりまで取っていたが、結局導入を見送った経緯がある。営団の全検車区・工場に導入しても、1億円もかからぬと言う。乗客の生命に全く関心を払わず、軽視していたのである。これは、営団職員OBから私宛に来たメールに書いてあった事である。
営団は、脱線防止ガードの設置基準も、相互乗り入れをしている東急の450R以下に対し、140R以下で、東急の3分の1以下の緩い基準であり、東急が行っている輪重差の検査もしていなかった。更には、レールの延命を計るため及び車輪とレールの軋む音がうるさいからと、レールを削り取っていた。騒音防止とコスト削減のために脱線しやすくした訳である。営団の安全軽視、乗客の生命軽視の姿勢は明らかであり(これは私達遺族に対する営団の事故後の対応を見ても明白)、手抜きに手抜きを行った結果起きた脱線事故である。どうして、営団の管理責任が問われないのであろう。事故調査検討会も、こんな事は百も承知の上、営団に何の責任もないと言う結論を出すのだろう。お手盛りの機関など無用の長物で税金の無駄使いである。第三者機関の設置が望まれる。鉄道局も加害者(営団)の擁護機関であり、組織防衛と保身と天下りが至上命題であり、安全とか事故防止とか肝心の仕事は何もせず、税金だけをむさぼり食っている存在か。空しい。
残るは、警察だけである。警察には何としても営団と運輸省の責任を明らかにして欲しい。不祥事の続く警察だが、警察は市民の味方であり役所の味方ではない、ということを証明して欲しい。マスコミ各社にも同様のお願いをしたい。営団を解体に追い込んで欲しい。私鉄各社が運行すれば、営団より安全なのは明白なのだから、国民や利用客が反対する筈がない。

6月28日

本日、正式に運輸省鉄道事故調査検討会の中間報告が発表されたが、なぜ、警察の捜査が終わる前に、営団に過失はなかったという報告書を公表したのか。警察は、営団に過失があったかどうか捜査しているのに、運輸省は意図的に警察の捜査を妨害しているとしか思えない。営団に過失がないとしたら、警察は捜査する必要がなくなるではないか。どう考えても、おかしい。マスコミは全くこの点に触れないが、どうしてだろう。運輸省を批判するのが恐いのか。ジャーナリズムも地に落ちた。

営団の寺嶋総裁が、退職金を辞退した上、今月末付けで辞任することになった。私は総裁と面談することにした。結果は後日報告します。
また、鉄道事故調査検討会に捜査権などの法的権限を付与した上に常設機関とする旨、夕刊に載った。信楽鉄道事故以来、活動してきたTASKの臼井さんの努力が報われたのなら嬉しい。私も多少は貢献できたのかもしれない。息子の友人や後輩が毎日、日比谷線を利用しているのだから、営団には再発防止に全力を挙げて取り組んで貰いたい。筆舌に尽くし難い悲しみは私達だけで沢山だ。

7月3日

7月1日に寺嶋潔元総裁と面談した。辞任の記者会見の「対策が万全であれば事故を防げたかもしれない」との発言を確認した。業務上過失致死傷害の容疑で警察の捜査が進んでいる状況下では、総裁としては、「過失があった」とは言えないから、ぎりぎりの発言だと思う。退職金を返上して、「社会的責任」を取っての辞任である。当然といえば当然だが、立派な身の処し方だと思う。ただ、「退職金は返上ではなく、出来ることなら、被害者救済や慈善事業に寄付するなど有効に使って頂きたい」とお願いした。

7月2日に土坂新総裁と面談した。上記の「対策が万全であれば事故を防げたかもしれない」という認識は寺嶋元総裁と変わらないとのことであった。

(1)「対策が万全であれば事故を防げたかもしれない」という認識を
   示した上での総裁の引責辞任。
(2)再発防止策の決定実施。
(3)運輸省鉄道事故調査検討会に法的権限を持たせ、常設機関に格上げ。

以上の三点の達成と、人の命を奪う事が、どれだけ重大で、遺族や友人等周囲の人間の人生を一変させ、生涯に亘る悲しみや苦しみを与える結果になることを、充分営団の役職員にも伝える事が出来たと思うので、このHPの役目も終わりに近づきつつあると思っている。営団ももう二度と同じ轍は踏むまいから、今暫く経過を見た上で、本HPから営団に関する記述を削除し、息子の思い出のHPとするつもりでいる。

私は息子を失った事で物欲も死の恐怖もなくなった。あの世で息子に会えると信じているので、死ぬことがむしろ楽しみになった。寿命が尽きるまで、楽しみは先にとっておいて、妻と次男のためにもう少し頑張ることにする。妻は食欲がなくなり、6キロも体重が減った。涙を流さぬ日は一日もないが、時間が癒してくれることを信じるしかない。新盆が近い。また息子の死を確認する悲しい作業が始まる。

7月7日

ある方から、営団に関する記述を削除しないで「大惨事の記録」として残しておいてくれ、というメールを頂き、考えてきたが、警察の捜査が終了し、鉄道事故調査検討会の最終報告が出るまではこのHPを続けることにした。全てが決着してから、どうするか決めようと思います。

今日、麻布学園の根岸校長先生から連絡があり、ある方がこのHPをご覧になって「富久信介スポーツ奨学金」に寄付をしたいと申し出でがあったとのこと。リストラや倒産が続くこの厳しい経済状況下で一人でも多くの息子の後輩が救われるなら、大変有り難いことで、私に異存があるはずもない。どなたかは存じませんが、この紙上を借りて、心より御礼申し上げます。
私も少しずつこの奨学金を拡充していきたいと思っています。それが、息子の命を無駄にしないことの一つだと確信しています。

世の中には、交通遺児、病気遺児、災害遺児、更には自殺遺児がいて、学業を続けるのが困難になった子供達が沢山います。その上、リストラや倒産、あるいは犯罪被害者の遺児。私もささやかな社会貢献として、このような不幸な遺児を支援しているあしなが育英会(とその前身の交通遺児育英会)に20年近く僅かな金額ではありますが寄付を続けている。

営団にも、今回の事故に対する贖罪の意味で何らかの弱者救済の基金を作ってくれないかと申し入れたが、補助金という税金を受けているので、税金で基金を作ることになり、それは制度上難しいとのこと。残念だが仕方ない。
私はまだ示談に応ずるとも応じないとも決めていないが、もし応ずることになったら、補償金を使って息子が生きた証として息子の名前が残るような何らかの基金を作るつもりでいる。息子の命が後進の子供達の役に立つ、それが「息子の命を無駄にしない」ことだと信じている。事故の再発防止は、今度こそ営団の役職員が真剣に取り組んでくれるであろうから。

7月11日

7月8日の月命日に事故現場に妻と次男を伴ってお花を供えてきた。早く、現場添いの引き込み線があるスペースをオープンスペースとして、いつでも誰でも自由にお参りに行けるようにして欲しいものだ。殺風景で寂しい。

現時点で判明している事故原因と問題点を整理します。
鉄道事故調査検討会の中間報告による推定原因
●輪重のアンバランス
●レールの研削
●その他、摩擦係数の増大、台車特性の影響
輪重のアンバランス
八六年六月に横浜駅構内で脱線事故を起こした東京急行では八八年二月、自動輪重バランス測定装置を設置し、輪重差10%以内に管理しています。
営団では、日比谷線事故と類似したせり上がり・脱線事故が九二年十月、十二月に鷺沼車庫(川崎市宮前区)で連続して発生し、軌道区と検車区が合同で調査し九三年五月に「事故の推定原因の一つとして輪重のアンバランスが考えられ、輪重バランスの測定の必要がある」と報告しています。さらに八月には、輪重バランス測定装置は据え付け工事を含めて二千万円以下で設置できる、と見積もりを出しています。 全工場に設置しても1億円以下。営団上層部は、この報告書を無視し、同装置を導入しなかった。営団の車両は新車納入以来一度も輪重バランスを測定されてなかった。これは過失とは言えないまでも、営団の安全軽視の姿勢は明白である。日比谷線の脱線事故は予想できたことなのである。八八年に東急が導入した時か九三年に内部報告が出た時に同装置を導入していれば、今回の事故は起こらなかったであろう。息子も死なずに済んだ。無念である。
レールの研削
レールの研削は、レールの延命、長寿命化が主たる目的である。その他にレールの軋み音を防止する。研削することにより、車輪のレールへの乗り上がりを助長する。つまり、脱線しやすくなるという。これから、どの程度、脱線しやすくなるか試験調査するという。冗談ではない、研削する前に、十分試験調査するのが当然ではないか。ここでも、コスト削減のために安全を犠牲にしている。9日のテレビ朝日の報道によれば、警視庁は、営団がレールの研削を規定以上に行った事実を把握し、過失として立件する方針を固めたとのこと。公判で明らかになるだろう。

問題点
●なぜ、運輸省・営団は現場保存をしなかったのか。
一週間程度、現場保存をして調査するのは当然ではないのか。
●脱線防止ガード
脱線防止ガード設置基準は相互乗り入れしている東急の450R以下に対して、営団は140Rと鉄道界最低の基準であった。営団の安全軽視の姿勢がここにも現れている。

なぜ、営団は輪重アンバランスといいレールの研削といい、十分承知しているのに、脱線しやすくしたのだろう。二度も鷺沼車庫で脱線事故を起こしているのだから、営団の「今まで脱線事故を起こしたことがないから、従来の基準をそのまま使用した」という主張は、その根拠を失っていて、詭弁に過ぎない。せめて、脱線防止ガードさえ設置してあれば、事故は防げた筈である。私の「営団は実際に乗客を乗せて脱線試験を行っていたに等しい」という主張の方が説得力があるではないか。

7月17日

昨日で新盆が終わった。仏教というのは何でこんな悲しい儀式をするのだろう。白い提灯を吊し、息子の魂を迎え入れ、家族でその提灯を燃やして息子の魂を見送ったが、悲しみが新たになった。お花をお送り頂きました方にはこの場を借りて御礼申し上げます。

7月1日の毎日新聞に「地下鉄日比谷線脱線、5年前にJR総研リポートで危険性指摘−−運輸省、対策とらず」( http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/subway/0701-2.html)という記事が載った。運輸省も輪重アンバランスが大きいと脱線の危険性があることは認識していたという。事故が起きるまでは何もしないのが役所の体質か。

7月27日

昨日、目黒署より「運輸省から息子が車内で何処に居たか問い合わせがあったが教えてよいか」と電話があった。車両強度を検討する為のデータとしたいとのこと。無論、断る理由もないから承諾したが、今頃になって乗客の位置の調査とは随分のんびりした話だ。事故後には二つの点を調査する必要がある。一つは事故の原因、つまり脱線そのものの原因であり、もう一つは如何にしたら事故による被害、即ち脱線後に発生する被害を最小限に出来るかである。後者には、脱線防止ガードの設置や、車両の材質、形状、強度、諸仕様等に依り衝突しても車両の破損を最小限にする、あるいは脱線しても衝突を避ける方法があるか、等がある。こんなことは事故後直ちに調査検討を開始すべきであって、4ヶ月以上も経ってから、やっと始めるとは呆れた対応の遅さである。鉄道局長の身内が同様の事故にでも遭わなければ真剣にはならないのだろう。鉄道局も整備新幹線の予算獲りに血道を上げてばかりいないで、日々何百万人もの国民が利用する電車の安全確保に注力して貰いたいものだ。

8月9日

昨日8日は月命日なので、現場に花を供えてきた。事故から5ヶ月が経ったが悲しみは癒えないものだ。まだ妻は毎朝仏壇の前で息子が可哀想だと涙を流している。息子が存在しないという状況が日常になるのはいつのことだろう。息子の麻雀仲間でもある私の高校同期の親しい友人夫妻が月命日には必ず訪れてくれ、お線香をあげてくれる。あの事故以来毎週、私達家族を慰めに来てくれる私の高校同期の友人もいる。彼も息子の麻雀仲間である。他にも、私どもを気遣ってくれる大学・高校時代の友人が沢山いる。息子の麻布の友人が受験勉強のさなか時折、何人も訪れてくれる。息子も生きていれば私のように生涯付き合える友人が沢山できて、人生を楽しんだろうと思うと不憫さがつのる。

9月1日

もうすぐ6ヶ月が経とうとしている。昨日のことのようで時間の感覚がない。事故調の最終報告はいつ出るのだろう。警視庁の捜査も大詰めだと聞いているが、どうなのか。
一ヶ月近く書いてないが、書き始めると、どうも女々しいことしか出てこないから、筆が重くなった。
私も妻も信介のことはなるべく考えないよう、思い出さないようにしている。何処にいても何をしていても、考えると涙が出てくる。身も心ももたない。毎日酒の力を借りなければ寝つけない。深酒が習慣になった。眠れなくて起き出して仏壇と遺骨と写真を眺めながら涙を流して酒を飲んでいる姿は我ながら情けない。以前よりましにはなったが、こんな事が週に2日はある。
8月には、大学のクラブのOB会報と麻布のPTA会報に息子の思い出の原稿を書いたが、信介が哀れで悔しさが甦って辛かった。このHPの写真集3には信介の幼稚園小学校の写真を載せるつもりだったが、可愛かった小さい頃の写真は見ることが出来ないから、工事中のままである。結婚して直ぐ生まれた息子だから17年8ヶ月の生涯は私達夫婦の歴史そのものである。その歴史を抹消された気がしてアルバムを開くことが出来ない。
私が永久幹事をしている高校の同期会があり、葬儀に来てくれた友人と再会したが、多少元気になったようだと言われたから、少しはましになったようだ。つとめて行事には出席するようにしている。何をしても気が晴れることはないのだが、家に引きこもっているだけでは気が滅入るだけだから。
大橋ボクシングジムから10月19日に信介を追悼するボクシング大会を横浜文化体育館で開催すると連絡があった。信介のスパーリングの相手をしてくれたプロ選手全員出場するとのことであった。楽しみにしている。
信介の本も来年3月8日の1周忌に出版される予定である。友人が取材を続けていて、親の知らない信介も書いてくれることになっている。僅か17年8ヶ月の生涯で特に何かを成し遂げた訳でもないが、ひたむきに生きた証が残ればと思っている。
営団から慰霊碑について打診があった。引き込み線があるスペースの衝突現場に最も近い所に4M四方のスペースを作り慰霊碑を建てる予定だが、承諾してくれと言われた。9月には工事を始めないと1周忌に間に合わないので場所だけでも承諾して欲しいとの事であった。図面を見て、保守点検用の引き込み線を撤去しない限り広いスペースは取れないので、ちょっと小さ過ぎるとは思ったが、止むを得ぬ処置だと思い承諾した。信介は即死だったから慰霊碑は信介の墓と同じだと思っている。場所については承諾したが、慰霊碑そのものを認めた訳ではない。全てが決着しない限り、慰霊碑も認めるつもりはない。

9月8日

事故から半年経った。献花してきたが、現場に行くのも6度目である。現場に佇む度に悔しそうな信介の死に顔が目に浮かび、不憫で辛い。

9月11日

昨日、大橋ボクシングジム会長より、プロ選手による追悼試合が正式に決まったと連絡を受けました。

名称:第10回 ザ・フェニックスバトル 富久信介追悼試合(10試合以上)
会場:横浜文化体育館
日時:10月19日(木)午後5時半開場、6時試合開始。
主催:大橋ボクシングジム
チケット:リングサイド¥10,000 1階自由席¥5,000 2階自由席¥3,000
問い合わせ先:大橋スポーツジム 045-451-1994
       チケットぴあ   03-5237-9999
       後楽園ホール   03-3811-2111

尚、この大会で最優秀4回戦選手には富久信介杯のトロフィーと賞金が贈られます。この賞は毎年贈られ、信介の名前が残ることになりました。大橋秀行会長の温かいご配慮に感謝しております。信介は大した奴でもないのに皆様に愛され幸せ者でした。

今でも、「毎日が地獄」の日々を過ごしているが、こうして麻布学園の「富久信介スポーツ奨学金」や大橋ジムの「富久信介賞」のような温かい心が大きな救いで、この場を借りて、重ねて厚く御礼申し上げます。

9月14日

マスコミ各社から取材依頼や電話があった。事故を風化させないためには大変有り難いことで、どんな取材にも応ずるつもりだが、多少つらい面もある。私の悲しみなど信介の悔しさに比べれば取るに足らないものなのだから、あいつの怒りや悔しさをぶつける機会を逃すわけにはゆかない。信介のために私が出来ることは限られているが、生きた証を残すこと、命を無駄にしない為には、何が出来るか、せめて後進の子供達の役に立つこと等、私が生きている内に出来得る限りの事をしないと、一生悔いを残すだろうし、あの世で信介に合わす顔がない。型にはまることを嫌い孤高を恐れず真っ直ぐにひたむきに生きた信介に対し私はいい加減なことは出来ない。
営団の役職員達も、自分達の給料を払ってくれた乗客の命を理不尽にも奪ったのだから、どんな犠牲を払ってでも、信介のために何が出来るか真剣に考えてもらいたい。償いは私達のためだけにするのではない、営団自身のためにするものだ。償わなければ、乗客の厳しい非難を浴びるだろう。償ってもらったって信介が生き返るわけでもない。営団は信介のためにこの半年間、何をしてきたのか。その死を冒涜すること以外、何もしていない。どんな犠牲を払ったって人の命に比べれば取るに足らない。なぜ営団は麻布学園や大橋ジムのように信介の命を尊び遺族の苦しみを少しでも癒すような事をしないのだろう。乗客の命を、信介の命をあまりにも軽く考えているから、何もする必要はないと思っているのだろう。自分達がどんな罪を犯したのか真剣に考えたことがあるのだろうか。役職員全員が自分が直接手を下した訳でもないし自分には関係ないと思っているのだろう。

9月19日

大橋ジムの平戸トレーナーの現役時代のライバルで今も現役の社会人アマボクサーを続けている倉方さんが今年引退するので、信介の思いを拳に込めたいと信介のバンデージを使って戦ってくれ、見事、勝利されたそうです。倉方さんは信介の最後の試合となった都大会の決勝で、優勢だったが残念なことに1ラウンドで右肩を脱臼し棄権して都代表を逃した試合ですが、自分の率いる日野科技高校のボクシング部員と共に信介を応援してくれたとのことです。信介は、たった一人のボクシング部でしたから、いつも応援はなく、孤独な戦いでした。最後の試合に、高校生の試合らしく他校ですが沢山の方の応援を受け、脱臼棄権でしたが、本当にうれしかったと思います。この場を借りて、倉方さんと日野科技高校のボクシング部員の方々に厚く御礼申し上げます。同じスポーツ仲間の友情や厚情には胸が熱くなります。信介は親の知らないところで随分と可愛がられていて幸せな奴でした。黄泉の世界であいつは何をしているのだろう、独りぽっちじゃなければいいのだが、何もしてやれないのが辛い。まあ、いずれ私も必ず行くのだから、それまでの辛抱だ。

9月25日

信介が楽しみにしていたオリンピックのサッカーと女子マラソンを信介の位牌を傍らに楽しんだ。生きていればとの思いで胸が詰まる。
信介の追悼ボクシング大会の記事が信介の遺影と共に24日の神奈川新聞に掲載された。新聞に記事が載り、名前や写真を見るのは正直辛いが、事故を風化させないために仕方がない。営団の「安全軽視」の姿勢に対し私は声を上げ続けることを止めはしないが、私達遺族だけでいいのだろうか、本来日々地下鉄を利用している乗客の方々が声を上げるべきではないのだろうか。自分達の命が危険にさらされているいるし、いつ奪われることになるか知れないのだから他人事ではないと思う。という主旨のことを毎日新聞の記者の方に取材の際に申し上げた。
「A団地下鉄web労働組合掲示板」(http://www.tcup2.com/243/subway.html)という営団の非公式労組の掲示板を見つけ、直接営団の職員の方に私の気持ちを伝える手段が今まで無かったので、何人の人が見てくれるのか判らないが、この機会に書き込みをしてきた。

9月27日

私が営団の非公式掲示板に投稿したことで、多少混乱を招いたようだ。その混乱を収めるために、本日、多分最後となる投稿をした。一人でも多くの役職員の方に事故の重大さを、人の命の重さを真摯に受け止めて貰いたいという思いを込めたつもりだ。
今日は人生最悪の結婚記念日になりそうだ。とても祝う気にはなれない。

10月3日

毎日新聞が今日の夕刊に信介の追悼ボクシング大会の記事を掲載してくれた(http://www.mainichi.co.jp/news/newsflash/10minutes/news05.html)。この追悼試合を主催してくれる大橋ジムの宣伝になれば、うれしい。営団がこの追悼試合のポスターを地下鉄の駅10カ所に貼ってくれた。半ば、私が脅して貼って貰ったものだが、営団の関係者には素直に御礼申し上げます。少しでも観客が増え、この試合が赤字を出さずに成功裏に終わることを祈りたい。

10月10日

朝日新聞の取材、サンケイスポーツの電話取材が先週あり、今週は読売新聞の取材がある。8日は7回目の月命日なので、現場にお参りしてきた。空しい。一日24時間はなが過ぎる。14日には信介の追悼麻雀をやる予定だ。

10月16日

14日(土)の朝日新聞の夕刊にボクシングの追悼試合の記事が掲載された。また、共同通信が先週取材してくれ、地方紙に配信してくれる予定である。大変有り難く、この紙上を借りて各社の記者の皆様に感謝申し上げます。お陰様で、チケットの売れ行きもいいようです。この分なら、赤字は出ないだろう。安心している。私達夫婦も会場で挨拶をし、テンゴング(カウント)を聞く予定です。告別式を思い出して辛いことになるけれど、皆様の気持ちは涙が出るほどありがたい。ライト級の世界チャンピオンである畑山選手が試合会場に来てくれる予定です。朝日新聞に載った記事と写真を見る度に、信介が可哀想で涙が出る。私の高校同期の友人7人と追悼麻雀を土日で楽しんだが、信介が生きていれば、カモが来たと喜んだろうと思うと悲しい気分でもあった。

10月20日

昨日の追悼試合の記事が新聞各紙に掲載された。予告記事と営団が貼ってくれたポスターも多少はチケットの売れ行きに貢献してくれたものと思う。新聞各社と営団には御礼を申し上げます。お陰で、大橋会長によると、いつもはかなりの赤字になるのに、今回は黒字になったとのこと。収益は富久信介杯の資金にして、大きく育てたいと仰って頂いた。誇るべき実績のない高校生ボクサーの名前を冠した賞であり、受賞する新人ボクサーには有難味が薄いかも知れないが、ひたむきに頑張っていた信介に免じて、許して頂きたい。リングに上がりテンゴングを聞いているときに「もう二度とあいつはリングに上がることはないんだ」と思うと無念で、また告別式のテンゴングも甦り、涙が出た。信介が中3の一年間通った横浜光ジムのWBAライト級世界王者の畑山選手が駆けつけてくれ黙祷を捧げてくれた。メインイベントの主審は麻布OBの方であった。何かの因縁かも知れない。何度も信介のセコンドを務めてくれた渡辺恵介選手がデビュー戦を勝利で飾った。大橋ジムから7選手が出場し6勝1敗の好成績であったので信介もきっと喜んでいるだろう。鮮やかなKO勝ちの川嶋選手や森本選手が試合の直前に信介にお線香を上げてくれ、勝利を誓ってくれた。スポーツの仲間の友情には感激している。信介が後押しした結果ならうれしい。富久信介杯は1ラウンドKO勝ちの森本選手に贈られた。私や家族の写真が新聞やTVに出るのは、正直に言って、イヤなのだが、お世話になった大橋ジムのプラスになれば、万分の一の恩返しと心得ている。
それにしても、プロのボクシングはTVで見るのとは大違いで、凄まじい迫力で、恐怖を感じるほど本当に厳しいスポーツだ。大橋会長は信介がジムの4回戦選手とは互角以上だと言ってくれたが、本当にそんなに強かったのか。一度はプロで試合をさせてやりたかった。
運輸省の事故調査検討会の最終報告がまとまったそうだ。近々発表されるのだろう。警視庁の捜査も大詰めだと聞いている。どういう結果が出ても信介が生き返るわけではないので空しい気がする。

10月24日

20日の朝日新聞の夕刊に運輸省鉄道事故調査検討会の最終報告の概要を述べた記事が載った。運輸省記者クラブの記者が書いたのであろう。完全な垂れ流し記事である。運輸省の発表をそのまま何の疑問もなく記事にする。こんな「大本営発表」の記事を掲載して、新聞社の良識は何処にあるのか。問題意識の欠落した新聞記者など、何の価値もない。朝日新聞も地に落ちた。

「鉄道事業者の間では車体のバランスを高さで調整する方法が主流で、輪重管理という考えは浸透しておらず、営団でも輪重の測定をしていなかった。このため、検討会は輪重比については10%以内に収めることを目標値として提示。」との記事。

運輸省が何もしてなかったという非難を避けるため、実に巧妙な言い回しをするものだ。相互乗り入れしている東急電鉄は1988年に輪重比の測定装置を導入して10%以内という基準を設けて10年以上も前から輪重管理をしている。営団も1992年10月と12月に鷺沼検車区で二度も脱線事故があり、軌道区(現工務部)と電車区(現車両部)が調査を行い、「輪重のアンバランスが原因の恐れあり」とする報告書を1993年5月に作成し、輪重差検査装置を導入すべく、見積もりまで取っていたが、結局導入を見送った経緯がある。運輸省や事故調がこの事実に言及しないのは自らの保身のみを考えている役人だから仕方ないとしても、朝日の記者はなぜこの事実に言及しないのだろう。言及して運輸省を非難すると記者クラブから追放されるのが恐いのか。権力におもねる新聞に問題意識の欠落した新聞記者に何の価値があるのだろうか。この記事を書いた記者の反論はいつでも申し受けます。是非、私宛にメール下さい。全文を掲載します。
私だけ声を上げても蟷螂の斧に過ぎない。日々地下鉄を利用する乗客の代弁者として、マスコミや代議士が問題点を取り上げ、安全運行の徹底を迫るのでなければ、彼らの存在意義がない。一般乗客は訴える手段を持たないのだから。

親父の代から朝日を購読しているが、最近とみに朝日がつまらなくなった。記事の深みがないし、視点がずれていて、感性を失っている。石を投げれば東大出に当たるというほど一流大学出を集め役所みたいに硬直化していると聞いているが、一般庶民の感性や常識を失ってしまったのだろう。もう購読を止めるつもりでいる。

記者クラブの問題点を象徴する事実がある。オウムに殺害された坂本弁護士一家の事件で当初様々な情報があったにも関わらず神奈川県警は捜査しなかった。坂本弁護士が共産党系の弁護士であったからで、県警は無視した。県警記者クラブの各社記者は知っていても事実を報道しなかった。県警を非難する記事を書くと、県警から日々の事件のニュースを貰えなくなることを恐れたのである。そのためにこの事件の解決はご承知の様に大幅に遅れた。これは複数の横浜支局の新聞記者から何年か前に直接聞いたことである。

新聞や週刊誌に追悼試合の記事が出たが、私は「営団に何もしてもらってない」と言ったのではなく、「営団は息子を含め5人の犠牲者に対し、この7ヶ月間、何もしていない」と言ったのであって、営団は5人の命をどう受け止め、どのように罪を償うのか。それを聞きたいのであって、営団に何かしてもらおうなどと考えたこともない。営団がどう罪を償うのかは私達遺族だけの問題ではなく、日々地下鉄を利用している何百万人の乗客の方々にとっても重大事である。いつ事故に遭い私と同じ立場に立たされるか知れないのだから。

10月26日

「鉄道事業者の間では車体のバランスを高さで調整する方法が主流で、輪重管理という考えは浸透しておらず、営団でも輪重の測定をしていなかった。]という前述の朝日の記事をよく読むとおかしな点に気付く。左右の車輪に懸かる荷重すなわち輪重を測定していなくて、どうして車体のバランスを調整できるのだろう、目視で車体荷重のアンバランスを確認していたのか。目で見て、「右側が上がっているから少し下げて左右水平に」などと車体を水平にすれば、それで良しとしたのか。他社(東急電鉄)が輪重差を測定し輪重管理をしていることを十分承知の上で営団の技術陣や運輸省の鉄道局は目視検査で十分と判断したのか。営団も鉄道局もその根拠を明らかにする責任がある。脱線事故があったから東急は輪重管理を徹底した。営団は二度も脱線事故がありながら、検車区内の事故とはいえ営業線と同じレールを使用しているのであり、輪重管理という効果的な手法を知りながら、輪重管理を導入しなかった。大鉄道会社である営団が、十分に資金もあるのに、規模の小さい東急が行っている輪重管理をなぜ導入しなかったのか。乗客のみならず、運転士や車掌の命を危険にさらすことを何とも思わなかったのか。業界最低の脱線防止ガード設置基準といい、営団経営陣の安全軽視の姿勢は明らかであり、それが今回の脱線事故の原因である。営団経営陣は速やかに自ら非を認め割腹して犠牲者に謝罪すべきである。鉄道局も各鉄道会社に天下りを送り込むだけでなく、東急が輪重管理を導入した時点で、その効果を十分承知していた筈だから、輪重管理を各鉄道会社に徹底すべきであった。輪重管理が必要ないと判断したのなら、東急電鉄にも輪重管理を止めさせるのが筋だ。鉄道局の職員は肝心な安全確保という仕事をせずに高給をはみ、定年が来れば鉄道事業者に天下って、さらに甘い蜜を吸う。何ということだ。営団経営陣の安全軽視の姿勢と鉄道局の怠慢により、私の息子は命を奪われたことになる。私には報復する手段がないのが悔しい。

10月27日

今日の新聞各紙に運輸省鉄道事故調査検討会の最終報告の記事が載った。昨日、最終報告が発表されたのを受けてのものだ。朝日新聞によると車体のバランスは寸法検査により車高を計測しバネを調節して左右の高さを水平に保つようにしていたようだ。前述の目視は乱暴であった。それにしても、実際に車輪に懸かる荷重を計測せずに車高を水平に保つだけで輪重が左右均等だと見なしていたとは、信じられない。事故後実際に輪重を計測したら30%近く左右の輪重が不均衡だったのだから、一度くらい輪重を計測し、寸法管理との相関を取るくらいのことをしても良さそうなものだ。見た目と実際が違うことなどよくあることだ。素人の私でも気が付く。営団の技術陣はそんなレベルなのか。輪重計測装置がなく、営団では輪重が測れなければ、東急電鉄の技術陣に問い合わせればいい。容易に解った筈だ。なぜ東急が輪重管理を導入したのかを真剣に検討していれば、二度も脱線事故を起こしていたのだから輪重管理を営団も導入したはずだ。営団技術陣の奢りとレベルの低さが今回の脱線事故を招いたのか。「地下鉄の安全神話」にしがみつき、安全を最優先する姿勢がないから、何もしなかったのであろう。営団経営陣と技術陣の罪は重い。

11月8日

8回目の月命日で友人と現場にお参りして来た。慰霊碑の敷地工事が始まっている。慰霊碑の図面を見て、他の遺族や被害者のこともあり、敷地と設計については承諾はしたが、営団がどう罪を償うのか、今までのように誠意が見られなければ、そんな営団に信介を慰霊させることを認めることは出来ない。あの世で信介に合わす顔がない。妻は慰霊碑については全く関心がない。慰霊とか鎮魂とか供養とか、そんな心境にはなれないのだろう。私も同じだ。いつになったら、そんな心境になれるのだろう。慰霊碑を建て、慰霊祭を行えば、営団の世間体は満たされようが、それが営団の贖罪になるのだろうか。信介が納得するとは思えない。あいつの生きたかった思いをどう引き継いでやれるのだろう。

11月17日

ここ数日のオーストリアのケーブルカー火災のニュースを見るにつけ、息子の事故とオーバーラップして、悲しみが新たになった。この先60年や70年もの人生を奪われた中学生や大学生の方々の悔しさと遺された御家族の生涯続くであろう悲しみや苦しみや絶望を思うと言葉が見つからない。現地での追悼ミサの映像に妻共々涙が出た。知らせを受け現地へ到着するまでの長い時間の御家族の悲痛な心情を考えると、我が身を振り返って、切ない。二度と経験したくない時間だ。
営団は犠牲者を追悼或いは慰霊する気持ちがないのだろう。この追悼ミサのようなことは何もしていない。3月8日の事故以来、犠牲者のために何をしたのだろう。なぜ、自分達が命を奪った乗客をこんなに軽く扱うのだろう。それとも乗客などは荷物と同じで、なくなったら弁償すればいいとでも思っているのか。営団内部では何とか祭りとか平常通り行事を行っているそうだが、少なくとも1年くらいは一切の行事を中止し喪に服しても当たり前だと思う。乗客の命とは、営団にとって、そんなに軽いものか。被害者として、サリンで犠牲になった職員の方の慰霊碑を建て、慰霊祭を行っても、加害者になったら、自分達が命を奪った乗客だったら、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、早く忘れたいのか。営団の経営陣がいくら「安全運行が使命」などと言っても、このように乗客の命を軽視する姿勢がある限り、空々しく響くだけだ。こんなにひどい扱いを受けても、我々は地下鉄を利用せざるを得ないのが悔しい。営団の経営陣や技術の責任者はあの世に行った時に5人の犠牲者にひどい目にあわされるだろう、もしくは地獄に堕ちるだろう、くらいのことしか言えないのが悔しい。

12月4日

11月17日の読売新聞の夕刊と28日の産経新聞の夕刊に営団が慰霊碑の建設工事を進めている旨の報道があった。8日(金)は9回目の月命日だから、お参りに行くときに工事の進捗具合を見て来るつもりでいる。営団に慰霊を認めるかどうかを遅くとも来年の一周忌までには決めなければならない。

12月8日

9回目の月命日で、現場へお参りしてきたが、現場に立つと信介の死に顔が目に浮かび悔しさが、不憫さがつのり、涙が出る。もう元には決して戻らないことは分かっているが、4人家族が3人になり、生涯この状況が続くと思うとやりきれない。事故を防ぐ手段がありながら見過ごした営団経営陣と技術陣は決して許すことは出来ない。全力で生きていた信介の将来を奪って、謝罪や反省のかけらもなく、平然としている人間を私は決して許さない。車両やレールを管理していた部門の責任者や担当理事は、お通夜や告別式にも来ていないし、私に謝罪にも来ていない。私は顔すら知らない。彼らにとって乗客の命は虫けら同然なのだろう。
「私にとって営団は生涯の敵です」と以前ポツリと妻は言った。「お父さん、僕が大学出るまで生きててくれれば、後は兄貴の所へ逝ってもいいよ」と次男が真顔で私に言った。「放っておいても俺は必ずいつか死ぬ。信介には多少待たせることになるが、自分で命を縮めることはしないよ」と答えたが、何とも寂しい家庭になった。私がもう少ししっかりしないといけない。一周忌までには立て直す。
慰霊碑の建設は重機が入って進んでいるようだ。
今夜は週刊誌の取材がある。今年の重大ニュースの一つとして、事故後の現状をまとめたいとのことであった。

12月18日

週刊文春に記事が載った。私と妻には人生最悪の正月が近いが、元には戻らないのだからこの状態に慣れないといけない。私達にとって、営団との戦いが生涯続くのか、一周忌で一応の決着がつくのか、いずれにしても来年の3月8日迄には結論が出ることになる。私はどちらでも既に覚悟は出来ている。警視庁の捜査も一周忌迄には終了してもらいたい。どんな結論が出ようが、一周忌を私達の再出発の日にするつもりでいる。

12月19日

昨日は嬉しい知らせが待っていた。信介の麻布の友人が自己推薦試験で大学合格が決まったと、発表を見てその足で信介の霊前に報告に来てくれたと妻から聞いた。その大学に行くかどうかは決めてないようだが、みんなが目指す一流私大だし、どういう付き合いだったのか分からないが、「富久のお陰だ。あいつは俺の中で生きている.。俺は富久と一緒に卒業する。俺が卒業させる。」と言ってくれて、その気持ちが嬉しくて涙が出た。信介にもビールを供えて、妻共々喜びの乾杯をした。信介の友人はみんな息子だと思っている。信介は大学受験も大学生になることも、もう叶わぬのだから、信介の分まで生きて欲しいから、本当に嬉しい。涙もろくなったのか、この文章を書きながら、涙が止まらない。

12月22日

昨日、麻布ラグビー部の信介の友人が真新しい背番号7のウィンドブレーカー上下を届けてくれた。私のささやかな寄付で中学生を含め部員全員に誂えたようだ。「富久」とネーム入りで、背にTeam Tomihisaとプリントされていた。赤と黒のかなり派手なものだが、そのウィンドブレーカーを着た当時のレギュラー全員の集合写真も頂いた。主将が信介のウィンドブレーカーを掲げていた。霊前に供えたが、ラグビーの仲間の心遣いに、うれしさと悲しさで涙が出た。

12月29日

このHPを開設して以来、ご支援を賜りました皆様に厚く御礼申し上げます。良いお年を、21世紀をお迎えになられますようお祈り申し上げます。
年末にあたり、現状をご報告致します。
事故対応の総責任者は、総裁ではなく、東京都の天下りである木宮進理事(総務担当理事)です。その下に「お客様事故ご相談室」があり、室長や調査役が「相談」にあたります。この理事が事故当日や葬儀など遺族対応を指揮したのです。その命令の下、私どもに非礼の限りを尽くしたのです。車両部長や工務部長及び担当理事が私の所へ謝罪に行くのを止めたのもこの理事です。葬儀や謝罪に行くと過失を認めたことになると、制止したのです。息子の霊に手を合わせることすらしないのです。組織防衛と保身の塊です。乗客の命を、人間の命を何と思っているのでしょう。私どもの人生を一変させた責任も露ほどにも感じていない、息子の命を奪って申し訳ないという気持ちが全くない人物です。その後、富久家担当理事となりましたが、こんな人物を私どもの担当にした営団の意図が分かりません。富久家担当になってから、9ヶ月間、木宮理事は一度も挨拶にも来ていません。驚くほど、私を無視し続けております。何処に営団の言う「誠心誠意の対応」があるのでしょう。営団は事故に対しては過失も責任もないと言明しております。総裁の辞任も引責辞任ではないと公式に表明しております。寺嶋元総裁は私には責任を取って辞任したと言明したにも関わらず、公式には引責ではないと。木宮理事の指示です。私は責任を取ってもらわなくてもいいのです。息子を元通りにして返してくれれば、何も云う事はないのです。営団に誠意を求めることが、どれ程馬鹿げているかは骨身に沁みて分かりました。事故後、私どもとの連絡に何度となく当たってくれた遺族担当の3人の方々は誠意を持って接触してくれましたが、営団という組織となると、話にはなりません。東京都、運輸省、建設省、自治省、警察庁などの天下り理事が牛耳っていて、保身と組織防衛のみに腐心しているのが現状です。乗客の命など、他人の命など、虫けらほどにも感じていないことが骨身に沁みて分かりました。天下り理事にとっては営団は次の団体へ行くまでの通過点に過ぎません。任期の間だけやり過ごせば済むから、誰も本気で考えようともしないのです。

営団が加害者責任を認め誠意を見せなければ信介の慰霊はさせないと通告してあります。真の反省も誠意もない加害者が慰霊などしたら、信介は涙を流して悔しがるでしょう。私も命を懸けて絶対に許しません。それが、夢と信念を持って生きていた一人前の男としての信介への私の愛情であり、礼儀だと思っています。

私どもにとっては人生最悪の正月であり、失意を抱えたまま新世紀を迎えることになりますが、その前に決意表明をさせて頂きました。

2001年

1月5日

昨日、友人の立川正憲君が8ヶ月に亘り取材し、信介の短い生涯をまとめた「17歳のテンカウント・ゴング」(仮題)の第一稿を持って来てくれて、未だ手直しが必要だが、ほぼ完成したと言ってくれた。私達夫婦の知らない外での信介の姿が友人や先生の話を通して浮かび上がり、私どもの失われた17年8ヶ月が、信介の生きた証が形になって残り、うれしい。事故や営団のことは一切触れていない。信介の幼稚園から高2までの生き様を描いてくれて、何かを成し遂げた訳でもなく、結果を出す前に命を絶たれたのだけれど、名もない一高校生のいわば平凡な生涯ではあるけれど、私どもの宝物になるのは間違いない。こんな事故がなければ知る由もなかった信介の姿が鮮やかに甦り、現代の高校生の生の姿も知ることが出来、良い内容に仕上がったと思う。昨年は17歳の少年による凶悪犯罪が多発したが、言うまでもなく殆どの高校生は真面目に一所懸命に生きている。その極く普通の高校生の姿が描かれていて、子育て中の父母の方にも参考になる一冊に仕上がっていると思う。「信介も凄いが、お前達もちゃんと親をやっていたんだ」と言ってくれて救われたような気がする。「俺はお前と奥さんのために書いたんだ。信介が書かせてくれたんだ。お前達が満足してくれればそれでいい。」持つべきものは友達である。立川君には大変感謝している。未だ出版社は決まってないが、3月8日には予定通り出版できるだろう。麻布学園とボクシングに名前が残り、本も出版すれば、親として、してやれることはやり終えたような気がする。「富久信介スポーツ奨学金」と「富久信介杯」を大きく育て、なるべく多くの後進の若者の役に立つようにすることが私の生涯の課題だと思っている。営団とも3月8日までには一応の結論が出るし、3月8日を再出発の日にすることが出来そうだ。思い出だけで残りの人生を生きて行くには私達は未だ若過ぎる。

1月9日

昨日の10回目の月命日に現場にお参りしてきた。いつも通り営団の遺族担当のお三方が迎えてくれた。休日なのに、私どもは現場の鍵さえ開けていてくれれば、勝手にお参りするのだが、三人の方のお気持ちはありがた迷惑の感もあるが、そのまま受け取っておこう。10ヶ月も経っても未だ昨日のようだ。この10ヶ月間、信介のことのみを考えて過ごしてきたような気がする。いつも月命日に来てくれる友人3人と午前3時近くまで本の原稿を肴に酒を飲んだが、友達は本当に有り難い。萎えそうな気力を奮い立たせてくれる。生きて行く力を与えてくれる。営団とは何の進展もない。

1月11日

昨日、今日と新聞に警視庁はレールの形状変更と過剰研削を、基準に違反しているとして、レールの保守管理をしている工務部の職員に対して、過失として、立件する予定との報道が出た。輪重管理の導入を怠ったこと、脱線防止ガードの設置基準を鉄道界最低のまま放置したことなどが本来、経営陣の過失として問われるべきものと思うが、これらに対しては、運輸省が基準を定めていなかったので、基準がないから、基準違反を問えないのであろう。釈然としない。無論、レールの形状変更と過剰研削にも原因があると思うが、いわば、末端の職員の責任を問うことで、経営陣の責任が問えないとしたら、トカゲの尻尾切りと言われても反論できないであろう。全ての責任を工務部の保守管理担当職員にのみ負わせるのは筋が通らぬと思う。私は、全ての責任は、安全を軽視した経営陣にあると思っている。

1月15日

一昨日、この事故で負傷された方から、メールを頂いた。個々の被害者が巨大組織である営団と対等に交渉するのは困難であるから、「被害者の会」を組織し、設立することを検討しようとの内容であった。現時点では、私は会社の建て直しが緊急課題で、「被害者の会」の設立に使うエネルギーがないが、そのような会の意義と必要性は理解できる。営団の対応次第で、私も「被害者の会」か「遺族会」結成に動くことも考慮に入れようと思っている。

2月1日

1月19日
営団の土坂泰敏総裁の手紙を遺族担当者より受け取った。私が昨年12月に営団に通告した回答期限1月31日の前に、中間報告として、総裁が私宛に手紙を書いたとのことであった。私がHPに書いた内容に対する営団の弁解であり、相変わらず組織防衛と保身に終始した手紙であった。被害者遺族への謝罪の気持ちがかけらも無いことを示す一文がある。

「事故発生以来、新聞等で報道されているとおり警察の捜査が行われてきましたが、営団では顧問弁護士から捜査に影響を及ぼすような言動は言に慎むよう注意されております。技術部門の担当者とその上司である理事が富久様のところへお伺いできないでいるのはこのような事情によるものでありますので、ご理解を頂きたいと思います。」

車両やレールを管理している車両部長や工務部長とその担当理事が、息子の命を奪っても、謝罪する気持ちは全く無く、自分の身の安全のみに腐心していることがこの一文で明らかになった。この顧問弁護士は人の心を持たぬ、最低の人間である。自分達が管理している車両やレールで事故が起き、乗客の命を奪ったら、その責任者はまず被害者遺族に謝罪するのが常識であろう。私のところへ来て謝罪したら、自分達の罪を認めたことになると恐れているのか。たとえ、そうなるとしても、命を取られるわけでもない、敢えて謝罪に来るのが誠意ではないのか。息子は命を失ったのだから。自分達が罪に問われる恐れがあるから、被害者遺族に理解してくれとは、何という身勝手なことを言うのか。これが営団トップの総裁が、加害者が被害者に向かって言う言葉か。

1月24日
事故対応の総責任者・木宮進理事が私どもの担当となって初めて、10ヶ月以上経って初めて、遺族担当の3人と共に来宅した。この面談も、木宮理事の申し出ではなく、私が要求して渋々実現したものだ。1月31日の回答期限前に、私の決意を総責任者である木宮理事に直接伝えたかった。
席上、木宮理事は担当になってから一度も私に会っていないのは私に会うのが恐かったからだと述べた。だから、部下の3人に任せ、本人は逃げていたのであった。何ということだ。理事という、民間なら取締役という要職にありながら、事故対応の総責任者でありながら、嫌なことは部下に押しつけ、自分は安全な所に身を置いて、被害者遺族と対峙しない。息子の命など、乗客の命など、本人にとっては虫けら同然なのだろう。今まで私に対して行ったこと、すべきことをしなかったこと、自分のツケは自分で払ってもらおう。部下に押しつけるなど、私は決して許さない。土坂総裁といい、木宮理事といい、トップですら、誰一人責任を持って、腹をくくって対処する人間は営団にはいない。
木宮理事は私の信介基金構想について配慮・協力するという寺嶋前総裁と土坂現総裁の約束は一切両氏から聞いてないと言明した。どうなっているのか、この両氏は口から出任せを言い放ち、私を騙した。信じられない、1万人もいる組織のトップの言葉は、そんなに軽いものか。何処まで私をバカにするのか。トップの言葉を信じた私が愚かであったが、では誰の言葉を信ずればよいのか。自分が口にしたことくらい、総裁ともあろう人が何で守れないのか。

1月31日
営団との補償交渉は一応の結論が出た。交渉決裂、示談不成立である。残念だが、とうとう誠意が見られなかった。営団は保身と組織防衛とおざなりの対応に終始した。私ども遺族の心に届くことはなかった。私は損害賠償を放棄する訳ではないから、示談が成立する迄、交渉継続となる。10年でも、20年でも、私と妻の死後は次男が引き継いで行くことになる。裁判を起こす訳でもないから、私どもには何の負担もない。但し、当然だが、示談が成立する迄、営団が信介の慰霊や追悼をすることは、命を懸けて、認めないし、決して許さない。誠意のない営団にそれを許したら、信介は地団駄踏んで悔しがるだろう。私は信介の尊厳を汚すようなことは断じて許すつもりはない。私は現在迄、営団の誰一人として、信介の霊前に座ることを許していない。営団の役員達の人間の心を失った姿勢では、今後も許すことはないであろう。営団が私の申し入れを無視し、慰霊碑や慰霊祭を強行したら、或いは犠牲者全員の名前のない慰霊碑にするなど強行したら、それは土坂総裁と木宮理事が信介の命の尊厳を、乗客の命の尊厳を汚し、私ども遺族の心を蹂躙する誠意のない所業を行った証左となる。

●慰霊碑と慰霊祭、補償交渉について
慰霊碑については、私は寺嶋前総裁の辞任直後の7月1日と2日に同前総裁と土坂現総裁に個別に面談し、両氏から、私の信介基金構想に配慮・協力するとの約束を得たので、私の希望とは違っていても、その場所や設計図や建設そのものを認めて来た経緯がある。遺族担当の3人にも常々慰霊碑の建設は認めるが、営団と決着がつかなければ慰霊碑に信介の名前を入れることは認めないと申し渡していた。更に、その協力方法ついては私とざっくばらんに忌憚なく話し合う必要があるので、補償交渉の内容はこのHPにもマスコミにも公開しないでくれと両氏から申し入れを受けた。それ故、私は10月から始めた交渉の内容はもとより交渉そのものにも一切HPでは触れてこなかった。私は約束は守った。ところが、木宮進理事が責任者である実際の示談交渉では、その約束を反故にし、無視を続けた。結果として、私は見事に両氏に騙されたことになった。前総裁、現総裁と二人がかりで被害者遺族を欺き、譲歩を引き出し、自らの保身と組織防衛に腐心するとは、その卑劣なやり方に私の怒りは頂点に達している。どうして、そこまで、遺族を苦しめるのか。息子の命を奪い、非礼の限りを尽くし、今また、私を欺き、苦しめる。怒りを表す言葉が見つからない。
遺族担当の3人とは延べ100時間以上も話をし、心を通じ合う関係を作って来たが、結局この3人には何の権限もなく、単なる連絡係で、肝心の補償交渉には一切タッチする権限はなく、一度も面談すらしていない木宮進理事が補償交渉の権限を持つ。10月と11月に3度に亘って行った補償交渉には木宮理事の部下である事故相談室のT調査役とY相談室長が出席し、木宮理事は一度も姿を見せることすらなかった。この理事は嫌なことは部下に押しつけ、逃げ回ることに終始した。なぜ、こういう人間を総責任者にしたのか。木宮理事とは事故直後と今月の24日と本日の3度会ったが、この人は人間としての良心や誇りのかけらもない。私は54年の人生で様々な人と会ってきたが、人の命を奪っても何とも思わぬ、世の中には本当に最低の人間がいると思ったのはこの木宮理事が初めてだ。マスコミの記者の方も一度この理事に会ってみれば、私の言っていることが誇張ではないことが分かると思う。
慰霊碑や慰霊祭・追悼式で信介を慰霊することは断じて認めない。補償交渉も合意に達するまで継続する。信介の命の尊厳を認めぬ限り、営団に一切の罪の償いをさせない。「信介の名前のない立派な慰霊碑」が営団の誠意の無さを糾弾し続けてくれるであろう。営団は長期に渡って高いツケを払うことになろう。これが私の決意であり、誠意のかけらもない営団への報復である。全ての責任は、事故対応の総責任者である木宮進理事と土坂泰敏総裁にある。

営団が建設中の慰霊碑に信介の名を刻むことは許さない、また碑文にも信介を含むような文言があったらそれも認めない、慰霊祭や追悼式も信介を含めることは許さないと通告してある。以下に、私が営団総裁と事故対応責任者の理事に宛てて、昨年12月に送った通告文を掲載します。

 

帝都高速度交通営団
総裁 土坂泰敏 殿
理事 木宮 進 殿       

前略、

平成12年3月8日に起きた営団地下鉄日比谷線脱線衝突事故で命を奪われた私の息子・富久信介の慰霊については、私と営団との示談が成立する迄、私は営団が私の息子の慰霊をすることは許しません。

従って、現在建設中の慰霊碑には、富久信介の名前は決して入れぬように要求します。碑文(案)にある「5人の・・・」は「4人の・・・」に変更するように申し入れます。今後開催される慰霊祭においても、富久信介の慰霊をすることは一切許しません。

尚、この申し入れに反した時は、貴殿二人に対し、私には名誉毀損として、訴訟の用意があることを申し添えます。

この文書は私が営団の総合企画室長殿に申し入れた当面の回答期限である平成13年1月31日迄に営団の誠意ある回答がない場合、翌日の2月1日に新聞社・TV局などマスメディア各社に公表いたします。

                                   草々

 平成12年12月26日                     富久邦彦

2月7日

信介の本は、出版社がなかなか決まらず、困っていたが、どうしても3月8日までに出版して区切りをつけたいので、止むを得ず私の会社から発行することになった。

書名:「17歳のテンカウント」
   ー日比谷線脱線衝突事故で逝った麻布高生・富久信介の生涯ー
著者:立川正憲
発行元:亘香通商株式会社
発売元:日刊スポーツ出版社
定価:1000円(税込み)
発売日:2001年3月7日

内容:2000年3月8日の日比谷線脱線衝突事故で即死した麻布高校2年(当時)富久信介の生涯を、友人、知人、先生や家族、約60人のインタビューを通して描いたもの。

これで、一周忌までに全て区切りがつく。営団や事故のことは忘れて、再出発が出来そうだ。このHPも営団と決着がついたら閉鎖する予定だったが、営団とは物別れに終わったので、私のような庶民にとってHPは唯一の武器だから、当分、5年か10年か決着つくまで存続することになった。一周忌まではマスコミの取材は受けるつもりでいるが、それで終わりにしたい。もうこれ以上、営団や事故のことは引きずりたくない。疲れている。誠意のかけらもない営団を相手にしても残り少ない私の人生の時間の無駄である。このHPへの書き込みも一周忌までにして後は放置するつもりでいる。

2月8日

11回目の月命日で、現場にお参りしてきた。私どもにとっては特別な場所だが、現場に立てば事故当日や信介の死に顔が甦り、気持ちは元に戻ってしまうので、もうあまり来たくはないとも思う。TV局の取材があったので、現場でインタビューを受けた。マスコミも慰霊碑や慰霊祭に関心があるようだ。私は営団がきちんと罪を償うまでは信介の慰霊は認めないと言明しているので、営団が慰霊碑や慰霊祭をどのようにするのか関心があるのだろう。営団、営団と言っても、顔が見えないし、実際の事故対応の総責任者は木宮進理事なので、木宮理事の指示の下に全てが動いているわけだから、木宮理事に聞いてくれと話した。放映はいつになるのか分からないが、とにかく一周忌までは取材は受けるつもりでいる。

2月9日

スポーツ報知と日刊スポーツに息子の本に関する記事が載った。スポーツ報知は大きく扱ってくれて感謝している。著者の立川氏の10ヶ月にも及ぶ労苦に報いるためにも、販売の助力は惜しまぬつもりでいる。

2月10日

本の発売元が「日刊スポーツ出版社」(03-3546-5711)に変更になった。マスコミ各社もこの本のことを取り上げてくれそうだ。一人でも多くの人に読んで頂けたら有り難い。営団の役職員の人達には是非読んでもらいたい。営団が命を奪った若者は、こんなにも一所懸命生きていた男なんだと知ってもらいたい。私は読んで、何であんなにひたむきに生きていた奴の命を奪ったのかと、本当に悔しかった。二度と事故を起こしてもらいたくない。

2月13日

「17歳のテンカウント」の概要をメニューに加えました。ご興味のある方はご覧下さい。3月7日には全国の書店に並ぶ予定です。ご予約は書店を通じて、お願い申し上げます。JANコードは ISBN4-8172-0213-0, C0095, Y952E です。

2月14日

東京都アマチュアボクシング連盟の理事長から富久杯の創設のご案内を頂いた。年1回行われる東京都対神奈川県定期戦の持ち回り杯としてカップを創設したとのこと。
表に「富久杯」、裏に「2000年3月8日地下鉄災難で亡くなりました故富久信介君(麻布高)ご父兄のご意志により寄贈いただいたものです。故人の在住であった神奈川県と在校であった東京都との歴史ある定期戦を飾るものとして設けました。選手諸君は故人を思い立派な選手になって下さい。2001年2月18日東京都アマチュアボクシング連盟」と刻まれるとのこと。
東京都連盟の温かいご処置に熱いものがこみ上げてきて涙が止まらない。厚く感謝申し上げます。
第44回定期戦は2月18日午後1時より日野自動車健保プラザにて開催される。無論、私も出席させて頂くつもりでいる。

先週から、一周忌に向け、事故とこの一年の営団の対応について、マスコミの取材が続いている。先週はTV局1社、新聞社1社。今週は新聞社2社と週刊誌1社の取材に応ずる予定でいる。総責任者であり富久家担当理事である木宮進理事の私どもへの対応について、詳しく話をしたし、またするつもりでいる。今後も多分3月7日まで取材が続くのだろうが、全て応ずるつもりだ。

2月15日

「スポーツ報知」と「読売新聞」に「富久杯」創設の記事が載った。数ヶ月前に東京都アマチュアボクシング連盟からご丁寧にも信介の戦績表を頂戴し、また事故後の試合で追悼のテンカウントをして頂いた旨ご連絡いただき、その御礼に僅かな寄付をさせて頂いた。その寄付金で「富久杯」のトロフィーを新設して頂いたことになる。心のこもったなされ方に感激している。信介もあの世で喜んでいるだろう。

2月19日

昨日、高校生のアマチュアボクシング対抗戦、東京都対神奈川県定期戦に妻ともども出席し観戦した。勝った東京都の主将に「富久杯」をお渡しした。NHKと日本テレビが取材に来てくれた。新聞社は読売新聞と東京新聞が取材してくれた。また、信介追悼のテンカウントをして頂いた。これが、最後のテンカウントになると思ったら、ボクシングのみならず人生からの引退をも意味していると思ったら、涙が止まらなかった。ゴングの音を耳に焼き付けた。日野自動車健保プラザのリングは信介が最後の試合をしたリングだが、もう二度とこのリングに立つことは出来ない。不憫で、悔しい。願わくば、信介の夢を引き継いで、東京や神奈川から高校チャンピオンが一人でも多く出て欲しい。東大ボクシング部の顧問の先生にも紹介頂いた。事故当時の東大ボクシング部の主将の方からはお花を頂き、麻布の信介の机の上に飾られた。スポーツの仲間の熱い心に感謝している。東京都アマチュアボクシング連盟の役員の方々も理事長はじめ、快く私どもを受け入れて下さり、私と共に涙を流してくれた方もおり、どうして、こんなにもボクシングの仲間は熱いのだろう。私も生涯をかけて、信介の愛したボクシングの振興に微力を尽くしたい。

2月20日

2月19日に下記書簡を営団の土坂泰敏総裁と木宮進理事宛に郵送し、お二方とも20日その受領を確認した。これで、すっきりした。営団が私の申し入れを守り、私が名誉毀損の訴訟など起こさずに済むことを願っている。一周忌後は営団や事故のことは忘れ、信介を背負って、いつかあの世で信介と酒を酌み交わすのを楽しみに静かに生きて行きたい。

帝都高速度交通営団
総裁 土坂泰敏 殿
理事 木宮 進 殿   

前略、

慰霊碑と慰霊祭についての申し入れ

親権者である私と妻の同意なくして、平成12年3月8日に起きた営団地下鉄日比谷線脱線衝突事故で命を奪われた私の息子・富久信介の慰霊を営団が決して行わぬように再度、申し入れます。
慰霊碑は私と妻にとって墓と同じです。加害者たる営団が、被害者遺族であり親権者たる私と妻の許可なく、息子・信介の墓を建てることは人道にもとります。慰霊祭にて息子を慰霊することも許可しません。

従って、
1.現在建設中の慰霊碑には、富久信介の名前は決して入れぬように要求します。  また、碑文(案)にある「5人の・・・」は「4人の・・・」に変更するように申  し入れます。息子を含めないで下さい。安全宣言(案)にも信介を含めぬように申し入れます。
2.犠牲者5人全員の名前のない慰霊碑は、息子を含むことになり、これも息子の墓と同じです。私と妻はこれを許可しません。
3.慰霊祭にても、私と妻の承諾なく、息子・信介を慰霊することは許可しません。

どのような形にしろ、息子・富久信介の慰霊はしないで下さい。

この申し入れに反した時は、平成12年12月26日付の書簡で申し上げた通り、私は貴殿二人に対して、名誉毀損の訴訟を起こす用意があります。
                                   草々
平成13年2月19日                       富久邦彦

2月23日

2月21日の朝日の夕刊に「17歳のテンカウント」の紹介記事が載った。また、本日の東京新聞朝刊にも大きく記事が載った。私達の本当の気持ちがよく書けていて、有り難い。読むたびに涙がにじむ。本の紹介もしてくれて、感謝している。今日から一日おきに4つのTV局の取材が続く。あと13日で一周忌が来る。それまでの辛抱だ。
本の発売が早まりそうだ。3月5日か4日か。調整している。

2月26日

「17歳のテンカウント」の発売日が3月3日(土)に確定した。今週土曜日には各書店に並びます。予定より、4日ほど早まった。一人でも多くの人に読んで頂けたら、ありがたい。もう、これで、私が信介のためにしてやれることはやり終えた気がする。あとは一周忌が終われば、静かな日々になるだろう。心待ちにしている。

2月28日

営団の事故対応の総責任者である木宮進理事が書いた慰霊碑と慰霊祭についての文書を遺族担当の3人から受け取った。3月8日は合同慰霊祭は行わない。慰霊碑には信介の名前は入れない。もう一組の遺族の方も慰霊を断っているようなので、その犠牲者の名前も入らないかも知れない。5人の犠牲者のうち、1人か2人の名前が無く、3人か4人の名前だけ書かれた慰霊碑となる。それを公開し、営団役職員や遺族が献花する儀式を行うと通告してきた。私は、信介を慰霊さえしなければそれでよいが、私が変更を申し入れていた碑文は変更せずに取り付けるという。「5つの命...」と碑文(案)には書いてあるが、それでは信介を含むことになり、私は認められないと申し渡した。碑文を変更するか、碑文(銅板)を取り付けないように伝えた。信介を含むことは断じて認められない。親である私と妻の同意なく、息子の墓を勝手に作るのは人の道に反する。私は文書で既に申し入れてあるが、それを無視して、慰霊碑の公開を強行する。何の為なのか。当然、名誉毀損で告訴することになる。私は息子の尊厳は自分の命に代えても守る。
なぜ、木宮進理事はこうまでして被害者遺族をいたぶるのか。息子の尊厳をなぜ踏みにじるのか。そうまでして、遺族を痛めつけてまで、世間体を守りたいのか。息子の命を奪っただけでは、気が済まず、親である私どもを攻撃するのは何のつもりか。

3月1日

昨日受け取った木宮進理事の通告文の全文を記載します。

 前略 営団では、一周年にあたる三月八日に、亡くなられた方全員のために慰霊碑を建立し、合同で慰霊祭を行いたいと願っております。
 また、このことは、ご遺族のために営団として実施しなければならないことであると考えております。
 しかしながら、早く慰霊碑を建立し、その前で慰霊をしたいというご希望のご遺族がおられる一方で、営団が慰霊碑にお名前を入れたり、合同で慰霊祭を行うことをお許しいただけないご遺族がおられる等、現状ではご遺族のご意向がそろっておりません。
 営団としては、このようなご遺族のお気持ちを尊重し、慰霊碑、慰霊祭等については次のとおりとさせていただきます。
一 慰霊祭について
 営団では亡くなられた方全員の慰霊を願って左高啓三氏に依頼し「祈り」をテーマとした慰霊碑を建立しましたが、前記のような現状を踏まえ、ご希望のあるご遺族について、亡くなられた方のお名前を銘板に記させていただきます。
 今後、出来るだけ早く全員のお名前を銘板に記せるよう引き続き努力します。
二 慰霊祭について
 営団では亡くなられた方全員のために当日合同慰霊祭等の式典を行いたいと考えておりましたが、前記のような現状を踏まえ、当日合同慰霊祭等の式典を行いません。
 今後、出来るだけ早く合同慰霊祭等の式典を行えるよう引き続き努力します。
三 当日の予定について
(一)当日は八時三十分から二十時までご遺族、近親者等を慰霊碑にご案内し、献花をしていただきます。
(二)営団の役職員は、慰霊碑の前で献花または黙祷するとともに安全の誓いの碑の前で二度とこのような事故を繰り返さないことを誓います。         草々
平成十三年二月二十八日            帝都高速度交通営団
富久邦彦様                  理事 木宮 進

相変わらず、気持ちのこもってない通告文である。「近親者等」とは人間を物扱いしている。乗客を見下した見方しかしていないことがこの一言で良く分かる。組織防衛と保身しか念頭にないから、被害者遺族の気持ちを忖度しないから、鉄道に対する愛情などかけらもない天下りだから、任期の間だけやり過ごせばいいと考えているから、平気で人の気持ちを踏みにじることが出来るのだろう。鉄道に愛情を持つ真の鉄道マンが経営しなければ、事故は必ず再発する。

3月7日に麻布高校の卒業式がある。信介は当然死亡した時点で除籍となるが、学校のご厚意により卒業証書を信介にも授けると先日ご連絡を頂いた。信介ともう一人水難事故で亡くなった同期生がおり、二人を卒業させてくれる。マスコミの取材は学校が認めぬ限り、遠慮していただきたい。卒業式を騒がせては、もう一人の生徒の御両親に申し訳ない。麻布のご厚意を踏みにじるようなことは出来ない。

3月1日

私の申し入れを受け、銘板と碑文を次のように変更すると先刻、営団より連絡があった。二度手間をかけさせるが、告訴はしなくて済みそうだ。ただ、なぜ全員の合意が得られるまで、慰霊碑の建立を待てないのか、警察の捜査も終わっていないのにどうして急ぐのか、疑問が残る。これで、完全に営団とは和解の余地はなくなった。全面戦争になった。私と妻が現場に行くことは生涯ないであろう。息子の名前のない慰霊碑など見たくもないから、木宮進理事は私どもが現場にお参りに行くことすら出来なくした。全員の合意が得られるまで延ばせばいいのに、完全に道を閉ざした。被害者のことなど眼中にはないのだろう。後は、私がすることは、警察が立件し、過失責任者が明確になったら、その人達を相手取って、損害賠償の民事訴訟を起こすことくらいか。鉄道は好きだし鉄道マンにも敬意を払っているが、本意ではないが、止むを得ぬか。

碑文(銘板)

平成十二年三月八日午前九時一分に発生した
日比谷線列車脱線衝突事故で犠牲となられた
次の方々の慰霊のため この碑を建立した

(お名前)

平成十三年三月八日
帝都高速度交通営団
総裁 土坂泰敏 

祈り(碑文)

碑は「三つの祈り」により構成されています。
水の祈り
光の祈り
風の祈り
水は天と地を繋ぎます。海をつくり、雲となり、雨となって。
光は宇宙を巡っています。
そして風、大氣に在る魂と人の命を感じさせます。
「祈り」はエネルギーです。
「祈り」は、天と地を結ぶ架け橋です。
平成十三年三月八日
作者  左高啓三

3月5日

昨日、一周忌の法要を菩提寺である観音寺にて行った。信介の友人は受験の真っ最中なので呼ばずに身内と私の友人数人が参列した。淋しい法要であったが、止むを得ない。
報道によると、慰霊碑には犠牲者2人しか名前が記されないようだが、私を含め3遺族が営団の慰霊を認めていない。5人の内、2人しか名前のない慰霊碑を強引に公開して、何の意味があるのだろう。営団の、木宮進理事の傲慢さ、高慢さを、誠意の無さを象徴する慰霊碑であろう。
私達は3月8日の命日は午前9時1分、中目黒駅ホームの先端で手を合わせて来るつもりでいる。現場には行かない。

早くも「17歳のテンカウント」の読者から感想を頂いた。「いい本だと思いました。若い人々にたくさん読んで欲しいと思いますね」「17年間の生涯の中で、こんなに密度の濃い歴史がある人間は少ないのではないのでしょうか」等々。
ありがたいことです。なるべく多くの若者に読んで頂けたらと思っています。

3月9日

一周忌の昨日、中目黒駅のホームの先端で手を合わせてきた。営団にとっては木宮進理事の通告文にあるように「一周年」だそうだ。おめでたい記念日でもあるまいに「一周年」とはどういうつもりだろう。狭いホームに報道陣が大勢いてゆっくり手を合わせて祈る余裕がなかった。こんな大騒ぎになるとは思いもよらなかった。

結局、慰霊碑には2人の名前しかなかった。土坂泰敏総裁は「ご遺族のご意向を最大限に尊重した結果です」と述べた。体面のみを考え、慰霊碑の公開を強行したのが事実であり、理由はどうあれ、5遺族全員の合意を得る前に公開したことで、記名を拒んだ3遺族を切り捨てたことになった。他のことでは遺族の意向は無視するくせに、慰霊碑の公開だけは遺族の意向を尊重したと言う。随分勝手な理屈だ。どう考えても5人の犠牲者全員の名前がない、2人しか名前のない慰霊碑など、前代未聞の慰霊碑である。この慰霊碑はお二人の犠牲者のお墓と同じだから、他人様のお墓に私の息子の名前を入れることなど、もうあり得ない。

ジャーナリズムにはこの営団の、木宮進理事の「言い訳」を突き崩す力量が問われている。ジャーナリストは木宮進理事に軽くあしらわれたことになった。

警察の捜査も大詰めのようだ。補償交渉も1遺族しか終わってない状況では、いわば罪を償っていない、真に罪を償おうとしていない状況では、更には慰霊碑のトラブルなどを起こしている状況では、世間の心証はかなり悪い。検察も立件しないわけには行かないだろう。立件しないと今度は非難は警察や検察に向かうことになる。被害者や遺族との補償交渉が全て終わっていれば、民事上の罪の償いを終えたことになるから、検察も立件を見送ったかも知れないが、現状では立件せざるを得まい。裁判でも、裁判官の心証はかなり悪いものとなろう。現場の職員を被告として立件することになると、木宮進理事と土坂泰敏総裁は、彼ら現場の職員をスケープゴートとして見捨てることになる。本質は営団の安全軽視の姿勢だが、それを刑事上の罪として問うのは難しいであろう。有罪でも無罪でも、補償交渉の終わっていない遺族は、その被告を相手取って、損害賠償請求の訴訟を起こすしか道がなくなる。この被告は破滅に追いやられる。自殺者などが出なければよいのだが、気の毒なことになる。天下りの木宮進理事と土坂泰敏総裁は無傷のまま次の天下り先へ意気揚々と移っていくのであろう。彼らは営団の体面と自らの保身を計るあまり、現場の職員を犠牲にすることになる。本来、営団の体面や自己保身を犠牲にしても、民事上のことは出来るだけ早く解決しておき、職員を守るのが経営陣としての役員の役割であろう。自分達の経営姿勢を非難から守るために、現場の責任者達が遺族に謝罪に行くことさえ阻止し、結果、遺族の感情を害して、交渉を困難にして、解決を遅らせることになった。職員を守ることには繋がらなかった。無能な役員と言えるだろう。天下り役員だから、愛社精神や職員への愛情がないから、職員を守ることなど考えもしないのだろう。

本の宣伝になればと思って、殆どのTV局や新聞の取材に応じてきたが、それも本日のTV局の取材が最後となる。いささかTVに出過ぎた。世間の人の反発を買ったかも知れない。いずれにしても来週からは静かになるだろう。心待ちにしている。もう本当に疲れた。この一年、気持ちのない人と戦って、得たもの、残ったものは、空しさだけだ。私は信介の尊厳を守るため、親父として、やるだけのことはやった。麻布学園には「富久信介スポーツ奨学金」、プロボクシングには大橋ジムによる「富久信介杯」、アマチュアボクシングには東京都神奈川県定期戦の「富久杯」と三つも名前が残り、後進の若者の役に立つことになった。信介も納得してくれるだろう。泣き言は心の中だけにして、この三つを大きく育てることを生涯の目標にして、前を向いて歩いていくことにする。

私と営団との戦いは、ある意味、終わった。後はジャーナリズムに任せたい。このホームページは営団とマスコミ向けに開設し、書き込みをしてきたつもりだが、閉鎖はしないが、もうあまり書き込みはしない。お読み下さった皆様には感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

3月23日

昨夜、警視庁の捜査官2名が来宅し、営団に対する業務上過失致死傷の捜査が終結し、近々に検察庁に書類送検することになったと報告してくれた。息子にお供物を持参した上、お線香をあげて報告してくれた。旧運輸省が基準を決めていなかったために営団の過失を問うのが難しい中で、150人体制で捜査に当たってくれて、その労苦に心より感謝している。

●レール管理上の内規違反が主たる容疑である。つまり、レールを規定以上に研削し、また形状も研削により変更したことが事故の原因となった、という容疑である。誰が被告なのかは明らかに出来ないとのこと。検察庁が立件する段階で明らかにしてくれるであろう。いずれにしても、個人の犯罪と云う事が明確になった。

和解の済んでいない遺族と被害者は、この被告たちに対して、有罪となれば、損害賠償請求をすることになろう。

その他の問題点については、現行の刑法では、過失を問うのは困難であるとのこと。納得できない。私は三つの問題点があると思っている。

(1)脱線防止ガード設置基準が140Rと最低で、その見直しを怠ったこと。
 この基準を決めた30年以上前と現在では車両は軽量化されその重量は大幅に軽くなっている。輪重を横圧で除した脱線係数は大幅に変わってきており、恐らくは半分以下になっていると推定されるが、つまり脱線し易くなっているが、この設置基準の見直しをしなかったこと。相互乗り入れしている東急電鉄は450Rと最も厳しい基準を設定している。
(2)輪重管理の導入をしなかったこと。
 1992年に二度、鷺沼車庫で脱線事故があり、営団の内部調査では輪重のアンバランスが主たる原因と解り、現場の技術者は輪重管理を導入すべきと輪重測定装置の見積もりと共に報告書を出している事実があるが、営団上層部はその要望を握りつぶした。東急電鉄は自社の脱線事故を調査した上、1988年に輪重管理を導入し、輪重比を10%以内に抑えるよう基準を設けて輪重管理を行っている。
(3)レールの過剰研削と形状変更
レールの研削は、レールの延命、長寿命化が主たる目的である。その他にレールの軋み音を防止する。研削することにより、車輪のレールへの乗り上がりを助長する。つまり、脱線しやすくなるという。形状も変更している。

(3)のみしか、罪を問えないと言うことのようだ。
(1)と(2)については、
旧運輸省鉄道局が統一基準の設定を怠り、鉄道事業者の勝手に任せていた為に、基準違反を問うことが出来なかった。各鉄道事業者に天下りを送り込んでいる鉄道局の責任は重大である。当然為すべき職務を怠って、今回の惨事を招いたのであるから、この点を検察は過失や怠慢行為としてその罪を問えないのであろうか。検察の気概に期待したい。営団の経営陣も同様に現場の声を握りつぶして、安全を軽視したのだから、罪を問えないのだろうか。公判に期待したい。

更には、旧運輸省お手盛りの鉄道事故調査検討会の最終報告とは何なのだろう。輪重のアンバランスが脱線の大きな要因となりうることは、東急電鉄の内部調査や輪重管理導入の事実から、10年以上も前から解っていたことである。それを、さも新しく判明したような報告書を出して、旧運輸省や直轄の営団を擁護するとは、噴飯ものである。事故調の委員は旧運輸省から手当を貰っているから良心を売ったのか、恥を知らない人種なのだろう。どちらにしても、官僚や天下りには司直の手は届かない事になりそうだ。

3月28日

一昨日、昨日とまたマスコミの取材で忙殺された。
営団は依然「過失はない、脱線は予見不能」との態度を崩していないが、1993年には輪重のアンバランスが脱線を引き起こす危険性を認識していた事実がある営団の内部報告書)。営団本社上層部や旧運輸省鉄道局は、基準がなかったから、基準を作らなかったから、何もせず、結果として罪を免れ、お咎めなしとは、呆れて言葉もない。レール管理(工務部所管)の現業の管理職のみが罪に問われることになり、本社の工務部長や担当理事は逃げ切った。本来輪重管理をすべきだった車両部長や担当理事もお咎めなしとなった。
営団の木宮進理事が私に向かって傲然と言い放った「営団に過失はない、ちゃんと管理していた」という言葉は今回の警視庁の捜査・書類送検で何の根拠もないことが明白となった。今後は公判で確定して貰いたい。この東京都の無能な天下り官僚に鉄道事業の何が解るのか。私の知る限りでも、営団には、旧運輸省鉄道局、旧建設省、旧総務庁、警察(警視)庁、東京都からの天下り役員がいて、営団の経営を牛耳っている。鉄道運行業務のイロハも知らぬ渡り鳥の天下り役員が鉄道事業を経営しているのが実態であり、この無責任な体制を変えぬ限り、事故の再発は防げぬだろう。安全最優先など口先だけで、「乗客の人命軽視」が根底にあり、そこから輪重管理の不採用、業界最低の脱線防止ガード設置基準、ずさんなレール保守管理が発生していたのが実状である。この実態にメスが入らなかったのは、無念である。法改正をしてでも、営団役員の管理責任や経営責任を問えるようにして貰いたい。
今回送検された次の5人の工務部現業管理職がずさんな管理の責任を取るのは当然だが、事故原因の一部であり、全てではない。「トカゲの尻尾切り」でもある。
●レール点検責任者(肩書きは当時)
  日比谷線工務区長(57)
  同工務区中目黒分室助役(61)
●レール保守責任者(肩書きは当時)
  工務事務所長(54)
  同事務所軌道第一課長(47)
  同事務所機械工務区長(55)
結果として、この工務部の現業管理職5人が事故の全刑事責任を取らされることになった。当然、民事上の損害賠償責任も生ずることになる。

5月8日

今日は14回目の月命日だが、今月から中目黒駅に行くことを止めることにした。現場にお参りすることが出来ぬ以上、遠く中目黒駅のホームで手を合わせることは虚しいので、もう二度と月命日も命日も現場付近に行くことはない。東京地検の捜査が終わらぬ限り、起訴か不起訴か決まらぬ限り、まだ何も終わらない。不起訴となれば、検察審査会に「不起訴不当」を申し立てることになるのだろう。信介の命に対しいい加減なことは出来ぬから、きちんとした結論を出して早く終わりにしたいが、思い通りには何も進まない。地検の結論が出なければ何もすることはない。2月末以来、営団とは何の接触もない。
新しく設けたBBSに書き込みをして頂いた皆様にはこの場で厚く御礼申し上げます。泣き言を書くことを恐れてお返事を差し上げていませんが、ご容赦下さい。

5月15日

日頃の鬱憤を書きなぐりました。

昨夜のニュース23で小泉首相の支持率が91.3%、田中真紀子外相のそれが70%を超えていると報道され、それまでかなり田中外相に批判的であったマスコミや評論家も論調が変わってきたようだ。マスコミや評論家は又しても読み違えた。彼らは既に一般庶民と感覚がずれて来ているが、まだそれに気が付かない。報道の構造問題であり、強く改革が望まれる。TV局や新聞社の外務省担当記者は全て外務省記者クラブに属し、外務官僚の垂れ流し記事を書いているから、取材する手間なく記事が書けるから、しかも大半が高給取りでリストラもないから、庶民感覚が分からなくなっている。経済や行政や政治の構造改革を強く主張しているが、省みて自らの報道業界の構造改革をなぜ行おうとはしないのだろう。各省や警察、各自治体にある記者クラブを廃止し、真にジャーナリストとして権力に対峙する。そういう姿勢が最も大切だと思う。

権力から情報をもらって生活の糧とし(記事を書き)ながら、その権力と対峙する、そんなまやかしを誰が信じるのだろう。公共事業の談合や官民癒着と同じである。他の業界を官民癒着と非難しながら、自分達はそれを平気で行う神経が分からない。だからたかが米国の一高官との会談に出席しなかったからといって、鬼の首を取ったように報道する。いつも世話になっている外務省官僚に義理立てしたのだろう。日頃は政府を米国追従外交と批判しておきながら、一変して外相を非難する。日本の将来に関わるような重大懸案など無い状況なのだから、出席しなくたって何ら問題ない。

日比谷線脱線衝突事故でも同じ事が起こっている。営団は1992年に二度も鷺沼車庫で脱線事故を起こし、現場の技術者は1993年の内部調査報告書で輪重比のアンバランスが主原因と推定した事実がある。営団が主張する「予見不能の事故」ではなく、営団は7年前に、既に脱線の危険性を認識していたのである。それを実際に脱線が起こる迄、放置していた責任は非常に重い。しかも、民間の東急電鉄は自社の脱線事故を反省し10年以上も前から、輪重管理を導入していた。ちなみに、事故調の最終報告も輪重比のアンバランスが主原因とし、再発防止策として輪重管理の導入を決めている。一民間の業者である東急が10年以上も前に解明した事実を大げさにさも初めて解明したかの如く報告書を公表した。その欺瞞を指摘したマスコミは一社もなかった。この営団の輪重管理を導入しなかったという怠慢行為を咎めたのは日本共産党の機関誌「赤旗」のみで、他の新聞社・TV局は記事にしなかった。朝日に到っては「当時、輪重管理は主流ではなかった」という旧運輸省鉄道局の言い訳をそのまま垂れ流して、官僚を擁護する有様であった。擁護記事を書いたのも旧運輸省記者クラブに所属する御用記者であった。正に、官民癒着の構造問題である。旧運輸省鉄道局が事実を知りながら、何の基準も設けず、放置した罪を咎めたマスコミは一社もない。鉄道局の役人は殆ど全ての鉄道事業者に天下っている。国民の生命を守らず、言い訳と自分達の利益追求のみに腐心する。

小泉首相のことでも、日本のメディアは分かっていない。不況とリストラで国民は参っているが、それに無縁なマスコミと役人には実際の痛みなど対岸の火事で、理解不能なのだろう。3日位前のJapan Timesで欧州の某氏が指摘したように、国民は現在の硬直・腐敗した官僚機構の破壊と特定の団体と癒着している自民党守旧派の壊滅を小泉首相に期待しているのであって、その先は特に期待していない。まず破壊しなければ、何も始まらない。多少の行き過ぎには目を瞑る。だから、田中外相と外務官僚の戦いには、国民は圧倒的に田中外相を支持しているのである。利権と天下りにのみ腐心する思い上がった官僚など、全員首を切って、入れ替えればいいと思っていることが、まだマスコミや評論家には分かっていない。その時の多少の混乱など、腐敗した官僚機構に比べれば、大した問題ではない。

ハンセン病訴訟といい、KSD汚職といい、機密費疑惑といい、もう国民は役人のやりたい放題に我慢がならないのである。全く、政治家はもとよりマスコミも分かっていない。田中外相が外務官僚を徹底的に打ちのめすのを期待するしかないのか。公共事業も向こう3年位は凍結し、仕事の無くなった役人は全員首にするくらいの英断が必要である。尤も既に各自治体は余裕が無くなってきているから、そうなるのも時間の問題か。全く、金もないのに借金して土建屋のために公共事業を行うとは、利権あさりもいい加減にしてもらいたい。私は自民党支持者でも共産党支持者でもない、無党派で、どちらかと言えば、民主党支持だが、小泉首相と田中外相には破壊者として大きな期待を寄せている。

5月16日

昨日、長野県の田中知事が記者クラブ室を廃止し、一般に開放するとの報道がありました。私の主張が長野県で実現しました。記者クラブの為に年間1500万円もの税金を費やしているとのこと。個々の記者が実力で取材すれば良いだけのことだ。特定の新聞・TV・雑誌社だけに税金で便宜を与えるのはおかしい。税金で便宜を受けていれば、筆先も鈍ろうというものだ。やはり普通の常識を持った人が政治家や役人にならないと何も変わらないのか。少なくとも大新聞社やTV局はこの既得権を自ら率先して放棄すべきだろう。そのくらいの見識があってしかるべきだ。

昨日、今日と本題から外れた話題になってしまった。取材を通じ報道各社の記者の方と知己を得て、殆どの方が見識のある人ばかりであったが、私はその方達を批判しているわけではなく、報道各社全体を批判しているだけである。会社の方針が変われば、記者の方達も思い通りに記事が書きやすくなろう。

ついでに言えば、事件や事故で亡くなった人の顔写真は遠慮会釈無く新聞もTVも掲載するが、重体の人でも生きていれば掲載はしない。日本では、死者には人権も肖像権もない。私の息子の場合も同じで、報道各社は一言の断りもなく、息子の写真を遺族以外から手に入れて掲載した。なぜ、加害者でも犯罪者でもない死亡した被害者の顔写真を掲載する必要があるのだろう。昨日のメル友殺人事件の被害者の顔写真をTVで見て理不尽なことだと憤慨したので、黙っていられなくなった。息子の場合は何の落ち度もないから顔写真が出ても重大な不都合はないが、メル友殺人の被害者とその遺族は世間の好奇の目に曝される。彼女は知り合いになった男性に会いに行っただけで、犯罪を犯した訳ではない。それでも、顔写真から経歴から更に遺族までもが裸にされて曝しものになる。遺族にこのような追い打ちをかける権利がどうしてTV局にあるのだろう。現代特有のメル友という現象から派生した犯罪だから社会性があるとしても、被害者の顔写真や家族の住む家を放映する必要が、その権利がどこにあるのだろう。刺殺された桶川の女子大生のケースは最悪だった。私だったら、我が子の名誉と人権を守るために損害賠償と慰謝料を請求する訴訟をTV局に対して起こす。

6月20日

二、三の鉄道マニアの会の方々より、以下のような指摘を受けました。なぜ今頃になって、このような見解が出てくるのか疑問ですが、最近このような噂を聞いて、気になって私に知らせたとのことです。真偽のほどは皆目分かりませんが、かなり説得力のある推定で、息子の死に関わることなので非常に気になっています。

(1)脱線時のスピ−ドは時速74km。事故調最終報告書では13km。
(2)脱線電車の運転手は事故後、依願退職した。
(3)事故当日、恵比寿駅3分遅れを取り戻すべく、運転手はATC(自動列車制御装置)のスイッチを故意に切って、スピードアップした。(この事は、前方信号が注意でも停止でも関係なく電車を走らせる事が出来ると言うことです)
上記が事実であれば、次の事は明白です。
事故地点手前トンネル内直線を時速85km位で飛ばし、登り左カーブで外へ出た後、中目黒の場内信号の停止を見つけ、慌ててブレーキをかけたが、ブレーキレバーの動かし方が深く入り、トレーラー車(モーターの付いていない車両)の車輪全てがロックされ滑走状態となった。丁度、8両目(モーター無し)前台車の前輪はカーブを通過し直線に入る処であった為、ロックされた車輪はそのままスルリとレールを越えたのである。(脱線時、時速74km)ロック状態の車輪縁でレール上部に7.6mの傷を残した事でもうかがえる。(脱線時、車輪は廻っていなかった。)

私には技術的な事は分かりませんが、常識的に考えて、定刻より3分遅れなら、運転手が遅れを取り戻すべく、スピードを上げるのは普通でしょう。事故直後の新聞では営団の発表として、脱線時は時速37km(読売新聞)であり、事故調の最終報告では、時速13km、運転手は脱線に気付かず、加速して27km位の速度で衝突したとある。

脱線車両の車掌の方や乗客の方でこの文章を読んだ方がおられましたら、是非当時の下り車両の速度を(本当に時速13kmと言う、超のろのろ運転だったかどうか)教えて頂きたいと存じます。匿名でも何でも結構です。また、鉄道の専門家やマニアの方の御意見も伺いたいと存じます。

7月3日

寄せられた情報の真偽はまだ分からないが、脱線電車の運転士は退職していないことが分かった。事故調も警視庁も報告書通りの低速だと言っている。

昨日は信介の19歳の誕生日で、死んだ子の歳を数えても詮ないが、まだあいつが死んだという実感が希薄だ。困ったものだ。信介の麻布の友人が6人も訪ねてくれて、信介の遺骨や位牌を前にして夜遅くまで話し込んだ。大学生活を楽しんでいて、うれしい。浪人生もいたが来春の朗報を待ちたい。

営団の担当者が月命日と同じようにお花を持って来てくれた。律儀でもあり、素直に受け取ることにしている。

神奈川新聞に「17歳のテンカウント」の書評が載った。「短いとはいえ、思うように、ある意味では充実した人生だったともいえよう」と結ばれていた。親としては自由にやらせてやったので、その意味では、このように言ってもらえると救われるような気もするが、やはりあいつが可哀想で、涙を禁じ得ない。

7月16日

今日はお盆の終わりで、送り火の儀式がある。色々な儀式の度に落ち込むことになる。ただ、信介の遺骨は私が死んだ時に一緒に墓に入れるつもりで我が家の仏壇に安置してあるので、信介はお盆でなくとも常に私ども夫婦と共にいる。菩提寺である観音寺の住職も了解してくれている。

もう、潮時だろう。このホームページも事故に関する記述は終わりにするつもりでいる。鉄道マニアからの情報も検察が起訴してくれれば、その真偽のほどは公判の場で明らかになろう。

私に出来ることはもうない。自ら区切りをつけなければ溜まりきった精神的疲労はいつまでも取れない。信介が決して生き返らぬという冷厳な現実の前には全てが空しい。何をしても元へは戻らぬ過去を振り返ってばかりいても私自身の心が壊れる。信介の怒りや悔しさも私の信介への思いも私の心の中に全て封印して生きて行く他はない。それでも、瀬戸内寂聴さんが言うように「一日一日、あの世で息子に会う日が近づいている」ことには変わりない。

今月31日をもって事故に関する記述は削除し、信介の思い出だけのHPにします。

「富久信介スポーツ奨学金」を残して頂いた麻布学園、「富久信介杯」を創設して頂いた大橋ジム、「富久杯」を創設して頂いた東京都アマチュアボクシング連盟の皆様に改めて厚く御礼申し上げます。温かいご処置がどれほど私ども夫婦の悲しみを癒してくれたか言葉に表せません。これらの信介の生きた証を大きく育てることを生涯の目標にするつもりでおります。

このホームページを長期にわたりお読み頂いた皆様には厚く感謝申し上げます。
最愛の子供を失った一人の父親の心の揺れを赤裸々に綴って参りましたが、何かの参考になれば幸いです。これ以上、醜態を曝すことにも耐えられなくなっております。

マスコミの皆様にも色々お世話になりました。感謝申し上げます。

7月31日

HPをリメークした。