そういうことでは、信介の友人たち誰もが何かしらスポーツをやっている中で、異色ともいえる友人関係を結んでいたのが、小川敏寛である。
「ぼくは四谷大塚からの知り合いです。最初は話していると面白いやつだなと思った。面白いというか、筋がひとつ通っていて、それが合っているにしろ、間違っているにせよ、筋が通っていたので、付き合っていて心地よいというか、付き合って行けるやつだなって。話題が尽きないというか、とにかく何か気が合った。ぼくは部活は天文部ですから、いつもつるんでいた中では、どっちかというと変というか、周りからも、何で小川がいるんだという感じで見られていた。だからぼくなりの分析というか、考え方なんですけど、富久が部活から一歩離れて話すのが多分、ぼくだったと思うんですよ。あと、ボクシングから一歩離れて、話すのが。で、ぼくが天文部の部長のとき、下のこととか、文化祭のこととかで悩んでたり、同年代のやつと喧嘩してたりして、相談したというか、話したことがありました。そうしたら、突き放すというか、そういう感じだったんですけど、その方がなまじ優しいことばを掛けてくれるよりは、『気にするなよ』ということばの方が、ぼく的には救われたという感じがあって。