見ていただけでした」(元南白ゆり幼稚園・バディースポーツクラブ同期生 本多祐也)

 ドッジボールの腕は、小学校でも一目置かれていた。
「小三の昼休みとかにドッジボールをやるのが流行ったんですが、あいつとは違うクラスで、クラスにひとりか二人はドッチボールの核になるようなやつがいるんです。そのときは自分でいうのも何ですけど、おれが一組の核で、TMとかいて、富久が三組の核で、そいつらがすごくインパクトあったんですよ、ドッチボールが強くて。こいつでっかくて強いなと思って、そんな感じでした」(元別所小学校同期生 角洋平)

小学校一年からはYMCAのサッカークラブに、これも毎週のように通っている。邦彦は最初、地域のサッカークラブに入れようとしたが、親が練習の手伝いをしなければならないというので、時間のなかった邦彦はそこを諦めている。YMCAでも信介は足の速い方だったが、身体が硬く、器用な方ではなかったから、それ相応に上達はしたものの、テクニック的には上手くはなかった。後に麻布学園で再会する中村亮介も同じサッカークラブにいた。

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