松本 みんな理解し合えたもん、塾では。

信介は「サバイバルゲーム」で早くできてしまい、組んだ女子に「早くやれよな」と怒ったことがある。結局このペアーがいちばん最初にできたが、虫の居所が悪かったのか、こういう面も持ち合わせていた。
信介も特別コースの生活を楽しんだ。国語の時間の班別対抗では、しばしば間違った答えを主張して譲らなかった。あまりにも解答の理由をきちんと説明するので、班員は反対できない。だが、かなりの率で不正解、「ワリィ、ワリィ」と謝ることがほとんどだった。余りにも度重なるので、あの自信はどこからくるのか、と訝る友人もいたほどである。実際、信介は自信家であった。

麻布中学にパス


一九九四年十二月四日、四谷大塚最後の合不合判定テストが行われた。信介は、四教科で、八千二百八十六人中五十八位であった。志望している、麻布、慶応義塾中等部、浅野、栄光学園、聖光学院にほとんどの確率で合格することができるという、判定結果だった。

目次
- 113 -