入試だから、百パーセントということはありえないが、今までの積み重ねた信介の学力を示す数字として、申し分のないものだった。入試は翌九五年二月一日の麻布から始まる。二日、栄光学園、三日が浅野、そして慶応中等部が五日。それぞれに願書を出した。学費の安い国立の筑波大学付属駒場は、十分に合格ラインに達していたが、学区外のため諦めざるを得なかった。
これだけの数字があっても、不安が忍び寄ってくる。極度の緊張が本人に襲いかかる。人を唖然とさせるほどの自信家であってもそうであった。困ったときの神頼み。信介は近くにある、弘明寺大明神に、家人に隠れてお参りに出かけた。何ごとにつけ、親にそういう姿を見せるのを恥ずかしがるのが信介の常であったから、黙って行くのは予定の行動だった。だが、日常と違う行動をとれば、どこかで周囲に知られる、まして親ともなればそのことがわからないわけはない。節子にはすぐにピンときた。といっても、一緒に行くわけにはいかない。信介の性格を熟知している節子は、気がつかないようにお守りをもらいに行った。
入試の結果は何もいうことがない完璧さであった。麻布、栄光学園、浅野と合格。