耳のあたりを殴られたんですよ。先輩とかが殴られたとき止めに入ったけど、『あれはシャレになんないだろう』とかいって、『ボクシングはなしだろう』とかいって。そのあと、あんま富久とはしゃべらなくなっちゃいましたね」(竹村裕一郎)
二人の間にはわだかまりができただけだった。話し合いをすることもついになかった。そのことを気にしていたのか、信介はサッカーの練習に出ることが間遠になっていった。だが、信介はそのことがあってすぐにサッカー部を辞めたわけではなかった。中学三年のときは区大会で勝って支部大会出場を果たしている。
サッカー部との別れ
「港区の大会がまずあって、そこで三位までに入って勝ち上がったら、三つぐらいの区が集まった支部大会に出られる。それで勝ってやっと都大会にいける。その支部大会で二回勝たないと都大会には行けない。で、支部大会に行って初めて勝った試合も富久が点を取って、一対〇で勝った。中三の文化祭、五月のときだったんですよ。でも、次の試合はPKで負けて、都大会には行けなかった」(新子潤一郎)