毎日相当だるそうにしていました」(村井隼)

 村井隼は、信介のデリケートさに気づいていたから、余計に心配していた。
「サッカー部で遊びでサッカーをやってたときに、あいつじゃんけんで負けて、キーパーやらされていて、すごい嫌そうだったんです。で、あいつそこでまた怒った。切れてないんですけど、ガーッと怒ったので、怒られた奴が、富久強そうだから、ちょっとぐらいいい返してもいいかなぐらいのノリで、ガーッて富久にいい返したんですよ。そしたら、富久『普通にやるよ』って、すげえ沈んじゃって。ゴールの前でキーパーそっちのけで、ずっと泣いてた。それを見たとき、意外とナイーブなやつだということが、わかったんです。すごい繊細なやつだということが。だからサッカー部に出なくなって悩んでるときは、何でかなって、ほんとうに知りたかった」
いろいろあったにしろ、「サッカーの試合は、真面目にがむしゃらにやるやつで、中学のときはサッカー一筋みたいな感じでした」(元サッカー部 小松亮介)という信介が、サッカー部を退部したのは高校一年の四月。だが、自らその理由を語ることはなかった。

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