で、おれと小松が負けたから二人で、富久と境野にひとつずつ上げなきゃいけないのに、おれだけがポテトチップスをやったから、それを賭けて、境野と富久が腕相撲をやって境野が勝った。そうしたら富久が悔しがって壁を思いっきり叩いて、穴をあけちゃった」(中村悠介)
ギャンブル漬けとまではいわないが、信介にとって学校は遊びの場で勉強するところではなかった。しかしそれは一人信介だけのものではない。中学校三年、高校一年のころは大半のものが授業を聞かず、後ろの方でトランプしたり、漫画読んだり、寝ていたり、エスケープしたり、していた「麻布的いきがる学年」であった。大学受験はやや迫ってきているものの、そういうことを話題にするのはダサすぎる、おれは余裕だということを誰とはなしに吹聴しておきたい。そういう風潮だろうか。大学受験態勢に入ればそんなことをしている暇がないことは、中学受験のある意味での勝者である彼らが知らないはずがない。とすれば、楽園、最後のあがきともとれる。