世界戦のような緊張感を経験することは二度とないだろうと思いますね。でも、この緊張感は、世界戦でも、富久がやる試合でも同じものなんです。富久はこういう緊張感を求めていたのだと思います。同じリングの上で殴り合うというのは、こういうことなんです」
 信介はある意味では日常に飽き飽きしていたのかもしれない。それを抜け出すための、思いっきり自己を実現できる世界がボクシングだった。小さいときから身体能力の高かった少年は、リレーが好きであったし、サッカーが好きだった。極論めくが、志向するところは、団体競技の中で自己実現を図ることにあった。それが挫折した。その方向転換先が、一人で成し遂げられる過酷なスポーツだったのである。
二〇〇〇年一月三十日。第一回ウインターカップの選抜代表選考決勝戦に信介は臨んだ。これが最期の試合になるとは、誰も考えることさえなかったのは、当然である。
 ゴングと同時にいつものように飛び出していった。前半は優位に立っていた。だが突然、左のジャブしか出なくなった。右がまったく伸びないのだ。平戸はすぐに、外れたな、と思った。やっと一ラウンド終了のゴングがなり、戻ってきた信介に、

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