終わりに


 二〇〇〇年十月十九日、横浜文化体育館で「富久伸介追悼試合」が行われた。企画したのはいうまでもなく、大橋秀行である。大橋はそのプログラムにこう記している。
「勉強に於いてもボクシングに於いても最高を目指すという文武両道の実現が彼の夢でした。それが着実に実を結びつつあったその矢先、まさに夢の途中でこの世を去らなくてはいけなくなった無念は推し量りようもありません。その手の中に何をつかんだかではなく、いかにしてつかんだか、その道程こそ美しく尊いものである。富久君を偲ぶときあらためてそう思います。ですから良い内容の試合をして、それを選手、スタッフ一同、富久君の墓前に捧げたいと思います。合掌。(中略)尚、富久君のご両親の御好意により四回戦の最優秀選手一名に対し“富久信介杯”が贈られることになりました。」

 この日組まれたのは八試合。大橋ジムからは七人が出場した。その中には信介のセコンドによくついてくれた渡辺恵介のデビュー戦も含まれていた。「富久がやっていると思ってみて下さい」といった大橋のことばが脳裏に浮かんでくる。

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