この幼稚園でマット、跳び箱、鉄棒、ボール投げ、縄跳びなどの器械体操を中心に行い、夏はプールでの水泳、野外でのキャンプ、冬はスキー、スケートと幅広くスポーツをする機会を子どもたちに提供している。信介はどの種目でも平均をはるかに上回っていた。たとえば、卒園間際に行われたBSCの認定試験では次のような数字を残している。マット10/12.8、跳び箱13/14.3、鉄棒12/13.8、ボール10/12.5、縄跳び12/13.7(前者の数字が信介、後者は平均。数字の小さいほうが優れている)。小学校二年のときには、スキーは三級の認定を受けたが、スケートはやや苦手だったようで八級止まり。だが、身体の柔軟性だけにはめぐまれなかった。そのことではかなり厳しく指導され、音を上げている。身体の硬さは終生のものだった。
BSCは卒園して小学生になっても通うことができる。だから信介は、小学生になってもこのBSCで運動するために、南白ゆり幼稚園に毎週のように通っていた。親や友人たちの記憶では、信介は小学校三年生ぐらいでここを辞めている。だが、BSCのスポーツ手帳の出席表によれば、年中組に入った、一九八七年四月から小学校五年生の一九九三年十月まで続けている。