最新更新記録2017年3月1日「トップ」「富久杯」に追記。



『17歳のテンカウント』立川正憲著

(税込999円。絶版となりました。)
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ー日比谷線脱線衝突事故で逝った麻布高生・富久信介の生涯ー日刊スポーツ出版社

奪われた青春!!

   一瞬にして断ち切られた17年の人生
   迷える若者とその親たちに捧げる
   激しくも熱く燃えた青春ドキュメント

2000年3月8日、地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で17歳の高校生がその人生を断たれた。その名は富久信介。麻布学園というエリート校に通いながらプロボクサーを目指した。しかしその夢は一瞬のうちに消え去った。葬儀で鳴らされたテンカウントは、ボクサーとしての引退と人生からの引退を意味していた。自らのアイデンティティを求めて彷徨う、いまの若者たちに捧げる、ひたむきに夢に向かって駆け抜けた、短くも熱い青春のドキュメント。

「東大に行って、プロのボクサーになれ」

元WBC・WBA世界ストロー級チャンピオン 大橋秀行

「ボクシングのリングは真実のところという感じがします。みんなが平等で、学歴も育ちも何も関係ないクリアーな世界です。まさに命を賭けたゲーム、真剣勝負の場ですから、そこに嘘なんか入る余地がない。ですから、試合前はすごい緊張感で、逃げ出したくなるくらいです。でも、富久はこういう緊張感を求めていたのだと思います。普通の高校生とはまったく違っていましたから。練習は真面目にやるし、話し方もしっかりしていて自分の意見をはっきりいう。しかも、頭がよくて集中力があるから、それがボクシングにもはっきり出ていました。攻撃力もありましたから、新人王ぐらいにはなれる素質が十分にありました。それで富久には『東大に行って、プロのボクサーになれ』と期待を込めてよくいいました。」

   

毎日新聞2001年3月8日朝刊

日比谷線事故きょう1年、17歳で逝った富久信介さんの青春、本に

 5人の命を奪った営団地下鉄日比谷線の脱線衝突事故から8日で1年。亡くなった高校生、富久信介さん(当時17歳)の青春をつづったノンフィクション「17歳のテンカウント」がこのほど出版された。富久さんの父親の友人、立川正憲さん(54)が事故の後、富久さんの同級生やボクシングジムの仲間、家族らにインタビューし、17歳の少年の素顔に迫った。富久さんの早過ぎる死は、今もなお遺族や友人たちの心に深い傷を残したままだ。
 富久さんは事故当時、進学校に通いながらも受験一辺倒の人生を嫌い、プロボクサーを目指していた。負けず嫌いで、ひたむきに努力した。そんな富久さんの生き方には、多くの友人たちが触発されていた。
 富久さんの葬儀の日、同級生が弔辞を読んだ。「あの日、あれ(列車)が前から突っ込んできたのなら、お前は得意の右ストレートやハンドオフで切り抜けていたと思う。後ろからは反則だよな、富久」
 泣きじゃくる同級生らの姿を見つめて、富久さんの父親は立川さんに繰り返し言った。「親には見せなかった、家の外での息子の姿を知りたい」。立川さんが本の執筆を決意したのは、この時だ。
 友人の早すぎる死について中学、高校の同級生やボクシング仲間ら41人の若者が、立川さんに心のうちを誠実に語ってくれた。友人のこと。自分自身のこと。だからこの本は、富久さんを描いたものであると同時に、41人の青春ドキュメントでもある。
 「同世代の人には熱くひたむきに生きる大切さを、その親の世代には子供にとって家庭がいかに大事かを、知ってもらいたい」と立川さんは語る。日刊スポーツ出版社で、952円(税別)。

◇友人と一緒に「卒業」
 富久信介さんが通っていた私立麻布高校(東京都港区、根岸隆尾校長)の卒業式が7日あり、富久さんの卒業証書が校長室で両親に手渡された。父親の邦彦さん(54)は「生きていればみんなと一緒に卒業できたのにと思うと残念でならない」と癒(い)えぬ思いを語った。
 この日、富久さんの同級生309人が卒業式を迎えた。学籍上は亡くなった時点で除籍となるが、友人たちが「一緒に卒業したい」と学校に働きかけ、富久さんと、水泳中に亡くなった別の生徒に証書を贈ることになった。
 式に出席した邦彦さんと母節子さん(52)は友人が持つわが子の遺影を見ながら「ラグビー部だったので、ウエアで出席したかもしれない」などと思いを巡らしたという。
 終了後、邦彦さんは「先生方と友達の温かい気持ちを受け取りました。この気持ちを信介に伝えるすべはないが、式場のどこかにいたのだろうと思う」と話した。

「サンデー毎日」2001年4月29日号 書評

昨年3月、地下鉄日比谷線の脱線事故で亡くなった麻布高校生の17年の生涯を同級生らが語った追悼本。超難関校に通いながらプロボクサーを目指し、授業を抜け出してロードワークに出るほどの頑張り屋だった。その武骨なまでに、ひたむきな生き様は「ハングリー」が死語となった今の日本では感動的ですらある。ボクシングからの引退と同時に人生からの引退。それがテンカウントの意味だ。

「週刊金曜日」2001年5月25日号 書評

日比谷線脱線衝突事故で死亡した高校生はプロボクサーを目指していた。夢に向かうひたむきな情熱を描いたルポルタージュ。

「神奈川新聞」2001年7月2日朝刊 書評

ー事故死した青年を悼むー
 本書は昨年三月に起きた日比谷線脱線衝突事故で亡くなった、十七歳の高校生富久信介君(横浜市西区宮ヶ谷)への鎮魂の書である。
 ある日突然、前触れもなく、一瞬のうちに断ち切られてしまった人生。この残酷な出来事を乗り越えていかなければならない肉親もつらいが、友人・知人も納得できないものがあろう。
 犠牲者の一人、信介君の父の友人であるフリーライターの著者は、信介君の17年の人生を丹念に調べている。
 幼年時代から高校生活まで友人、知人、恩師など、実に多くの人を取材したため、同時代を生きた同世代の人間像が浮かび出ており、十七歳は何に関心・興味を持ち、何を考え、何に不満で、どうしたいのか、が語られている。
 運動好きだが勉強嫌いのアトピーを持つ子が小学校でサッカーに熱中し、塾通いの生活からエリート校の麻布中学に合格。
 しかし勉強よりも麻雀を覚えて、自宅はチー・ポンの場所になり、またラーメンにこって食べ歩き、ラグビー部に入るが、ボクシングジムに通って、たった一人のボクシング部を作るなど、短いとはいえ、思うように、ある意味では充実した人生だったともいえよう。

 

「中三チャレンジ」(ベネッセ)2001年7月号 書評

        

 

「ゆうゆう」2001年8月号 書評

ープロボクサーと東大をめざしながら生ききった、ある高校生の記録ー
 「20才、それを美しい年だとはけっして言わせない」と言った詩人がいる。本書は2000年3月8日、東京の営団地下鉄中目黒駅近くで起きた地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で犠牲になった高校生、富久信介さんの短い生涯を、友達の証言をもとにまとめたものである。
 著者は信介さんの父親と高校時代の友人。著者自身、17才のとき友人の死に遭遇している。高校3年の夏休み、受験勉強の気分転換に泳ぎに行った4人の仲間の1人が溺れた。そのとき、家族の痛みや悲しみをほんとうにわかっていたか、わかろうとしていたか、そして泳ぎのうまくない友人をなぜ気遣ってやれなかったのか、ずっと後悔の念にとらわれていたのである。
 したがって、この事故が起きたとき、友人の息子が犠牲になったことを知り、いまなら彼の生きた証を形にして捧げられる、そんな思いで一人の友を思う17才の少年たちの証言を綴ることにした。
 それは、どの17才もかつての自分に重なるという意味で、まぎれもない青春の墓標だ。


「17歳のテンカウント」読者のご感想欄をご覧下さい


追悼(信介の熱い思いを惜しんで関係諸団体が生きた証を残してくれました)

2000年5月
富久信介スポーツ奨学金」創設

麻布学園が創設。スポーツに熱心な生徒、毎年一名に奨学金を貸与。本「奨学金」にご寄付頂ける方は麻布学園にお問い合わせ下さい。

2000年10月19日
富久信介杯」創設

大橋ジムが新人選手の登竜門として創設。同ジムの主催するプロボクシング大会で、最優秀四回戦選手にトロフイーと賞金が贈呈されることになった。第1回目の受賞者は森本裕哉選手(大橋ジム)。
第2回目は2001年8月27日(月)に行われた。第2回目の受賞者は56.5KG級の小野章太郎選手(京浜川崎ジム)。
第3回「富久信介杯」は2002年12月18日(水)に行われ、ライト級の日下徹選手(拳成ジム)に贈られました。

第4回「富久信介杯」は2003年12月20日(土)横浜文化体育館にて行われ、バンタム級の野中孝政(MT)選手に贈られました。
第5回「富久信介杯」は2004年11月29日(土)横浜文化体育館にて行われ、ライト級の石井泰祐選手(大橋ジム)に贈られました。
第6回「富久信介杯」は2005年12月5日(月)横浜文化体育館にて行われ、スーパーフライ級のジェット勇選手(F1)に贈られました。
第7回「富久信介杯」は2006年6月9日(金)横浜文化体育館にて行われ、ミニマム級の大間昇吾選手(花形)に贈られました。
第8回「富久信介杯」は2007年12月11日(火)横浜文化体育館にて行われ、
スーパーフライ級の藤井太志選手(大橋)に贈られました。
第9回「富久信介杯」は2008年12月10日(水)横浜文化体育館にて行われ、女子56kg級の東郷理代選手(山木)に贈られました。
第10回「富久信介杯」は2010年2月5日(金)横浜文化体育館にて行われ、48
kg級の原隆二選手(大橋)に贈られました。
第11回「富久信介杯」は2011年2月3日(木)後楽園ホールにて行わ、スーパーウェルター級の荒井慎吾選手(レパード玉熊)
に贈られました。
詳細はこちら

2001年2月18日
富久杯」創設

東京都アマチュアボクシング連盟の創設。東京都対神奈川県の高校ボクシング定期戦の勝利チームに贈られる持ち回り杯。第1回目の「富久杯」は東京都チームが受賞。
第2回「富久杯」が2月17日横浜高校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを10勝3敗で破って、前年に続き「富久杯」を受賞した。
第3回「富久杯」が2003年2月16日(日)日野自動車健保プラザにて行われ、神奈川県代表チームが東京都代表チームを5勝4敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第4回「富久杯」が2004年2月15日(日)武相高校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを6勝5敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第5回「富久杯」が2005年2月20日(日)東京朝鮮中高級学校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを8勝4敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第6回「富久杯」が2006年2月19日(日)武相高校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを6勝3敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第7回「富久杯」が2007年2月18日(日)東京朝鮮中高級学校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを4勝1敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第8回「富久杯」が2008年神奈川県体育センター(藤沢市)にて行われました。東京都代表チームが神奈川県代表チームを破って、「富久杯」を受賞した。
第9回「富久杯」が2009年2月25日(日)東京朝鮮中高級学校にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを4勝3敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第10回「富久杯」が2010年1月24日(日)神奈川県体育センター(藤沢市)にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを7勝3敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第11回「富久杯」が2011年1月23日(日)コサカジム(町田市)にて行われ、神奈川県代表チームが東京都代表チームを7勝5敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第12回「富久杯」が2012年1月22日(日)神奈川県体育センター(藤沢市)にて行われ、神奈川県代表チームが東京都代表チームを9勝5敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第13回「富久杯」が2013年1月20日(日)東京にて行われ、東京都代表チームが神奈川県代表チームを11勝2敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第14回「富久杯」が2014年1月19日(日)神奈川県体育センター(藤沢市)にて行われ、、東京都代表チームが神奈川県代表チームを9勝1敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第16回「富久杯」が2016年1月24日(日)横浜の浅野高校にて行われ、、東京都代表チームが神奈川県代表チームを2勝1敗で破って、「富久杯」を受賞した。
第17回「富久杯」が2017年2月19日(日)東京の府中東高校にて行われ、、東京都代表チームが神奈川県代表チームを6勝3敗で破って、「富久杯」を受賞した。
結果詳細はこちら

2001年3月3日
17歳のテンカウント」出版

父親の友人・立川正憲氏が10ヶ月かけて、信介の先生・友人・知人・ボクシング関係者など60人にインタビューして信介の生涯をまとめたノンフィクション、青春ドキュメント。日刊スポーツ出版社刊。絶版となりました。


2000年3月8日午前9時1分に中目黒駅直ぐ近くで起こった営団地下鉄日比谷線脱線衝突事故で麻布高校2年の息子・富久信介(17歳8ヶ月)が逝去しました。本ホームページは、無名の高校生ではありますが、その生涯を綴った「17歳のテンカウント」のご紹介と同時に、その生き様を永くご友人の皆様の記憶に留めて置いて頂き度く書き記したものです。

2001年3月、5人の現場管理職の営団職員が業務上過失致死傷罪の容疑で書類送検された。

2002年10月4日 東京地方検察庁が不起訴の決定を下した。

2005年3月8日 業務上過失致死傷罪の時効が成立した。