彼の場合はほとんどそういうことがなくて、自分で必要なものはちゃんととっているし、決してそれを人にどうのこうと手出しをしないし、きちっと自分で判断をして、行動に移すということが印象強く残っている。こういう子は、毎年一人や二人はいるんですけども、彼までというのはあまりいないですね。それで身体が大きいですから、六年生にはちっちゃい子もいますでしょう、そういうことでも信頼があって、彼の周りにはしょっちゅう何人かがたむろしていた。相手の方にしてみれば、常に仲間として付き合ってくれる、でも、自分たちとはちょっと違うぞというのがよくわかっていたんじゃないかな」(菅井勝)
四谷大塚からともに麻布に入った石津顕太郎は、信介を自慢の種にしていた。
「あいつは、一人だけでかいし、足も速くて、みんないつも金魚の糞みたいにくっついて回っていた。で、ぼくは大抵あいつを自慢の種にしていた。あいつは足が速いとか、勉強ができるとか、うちの学校でいったりして。いまでもそう思うんですけど、あいつの自慢話するのは好きでした」