そうかと思えばボクシングの試合が近づくと、服を着込んで有栖川の周囲を走りに行ったり、減量のため飯を食わなかったりしていました。
 富久はボクシングの強い恐ろしい奴という感じではなく、親しみやすいというか、思わずからかってしまい、逆にからかわれるような、何か人を引きつける魅力があった。また、場を無意識の内に盛り上げてしまうような華というか、そんなもんが感じられた。あいつはあいつにとって悔やみ切れない事故で命を落とした。俺はあいつが電車が突っ込んだということで死んでしまう器の奴ではなかったと思うし、もう少し場面が違えばよけられたと思う。反射神経すげーだろと言うあいつがうかんでくる。あいつは太く短い人生を生きた。でも、まだまだぶっとく生きて行くはずだった。ありがちな言葉ではあるが、俺は富久は最高の友人だったとマジで言える。もう少しあいつとしゃべり合いたかった。ユーレイになってでもいいから出て来て欲しい。富久のことは忘れることはできないし、死んだなんてことは信じられない。最後に富久とラグビーできて良かったと言いたいです。」(麻布高校ラグビー部主将 奥原慎平)

目次
- 7 -