第五章 麻布中学サッカー部での葛藤
麻布中学の入学式には、節子が連れ添った。派手な衣装を着けた文化祭実行委員長の挨拶は節子の度肝を抜いた。だが同時にこの学校の自由さ、伸びやかさを肌身で感じ、「入れてよかった」と心底思った。
この学校は、一八九五年江原素六が麻布尋常中学校として創立、十年後に現在地、東京・元麻布に校舎を移転している。江原は旧幕臣。麻布の校長を務める前は、沼津兵学校の設立に尽力し、沼津中学校長を務め、後には衆議院議員にも選ばれている。その創立の理念は「物事を自主的に考え、判断し、自立した行動のとれる人材の育成」にあった。それは今も変わることがない。現在は、学校法人麻布学園(麻布中学・高等学校)である。
「生徒の自治の念。創立者の江原さんは、それを植え付けるということをなさっている。自主とか自治が乏しければ、国も衰退するというような考え方ですね、明治期において。個人がしっかりと自分を規制していれば、上からいわれなくても自分たちで治められるということです。それは個人主義なようでいて、しかし、いざというときにはいちばん強いんだというようなことを書かれています」