だが、すでに親離れを果たしていた信介にとって、いまだに親離れができていない子、子離れのできていない親は、ともに信ずるに足りないものだった。信介はそういうことに敏感であり過ぎた。身体も大きかったが、そういうことでは、心の発達も早かった。友だちとの距離、それへのいらだち。輪をかけて好きなサッカーで自分の思い通りのことができない。おれがこれだけ悩んでいるのに、誰も分かっちゃくれない、そんな心境が続いていたことだろう。
「その理由は親御さんの話なんかも聞いちゃったりしたんですが、彼は多分、麻布っていう雰囲気に馴染めなかったんでしょう。彼は硬派な感じがありますんで、麻布のやつは結構いい加減な、軟派ふうなやつが多いから、それに体質が合わないみたいな感じがあったりして、うまく馴染まなかった。本人自身もそう思ってたんじゃないかな」(武神一雄)
弟の恭介もそのころ信介は、「麻布に入って変わったといえば変わった。ぼくとは些細な喧嘩さえしなくなった。中学に入ってから、ますます話さなくなりました。でも、親父とはよく喧嘩していた」という。