信介は親子のやり取りの中で吐露するようなことを学校生活の中で表すことはまったくなかったし、素振りにも出さなかったから、ほとんどの友人たちが信介の心の内を知らなかった。たとえ友だちが心配して聞いて来ても、逆に怒った。
それでも中学一年のときにはすでに、東急東横線を利用して横浜から通う同じ部、四谷大塚で一緒だった友人たちとのグループさえできている。麻布の中では横浜組と呼ばれていた。中村亮介、境野翔、小川敏寛、小松亮介、山城崇、そして富久信介。愉快な仲間だった。今となっては信介の本心を知ることは不可能だが、家に帰ると信介は不満たらたら、彼らのことも決してよくはいわなかった。
キャプテンをブン殴る
そんな中、中学二年の春合宿で事件が起こった。あろうことか、信介がキャプテンを殴ったのだ。このときすでに信介は、笹崎ジムでボクシングを習い始めていた。殴った直接の原因は単なる行き違いだが、そこに至るまでにサッカー部内部での確執があった。それは外から見ていてもわかるほどだった。オフェンスとディフェンス、それに強くなりたい組と楽しめばいい組との対立である。