「中二ぐらいからボクシングの関係でトレーニング手伝ってくれとか、肩こったから揉んでくれとか、腰を揉んでくれとか、いい出して、そういうのはだいたい付き合って上げた。そのときにこれまで話さなかったようなことを話すようになった。大体、パソコンの話が出てくるんです。『あれはどうやってやるんだ。何でお前はそんなことを知ってるんだ』という話が。それに大抵、何でかそのときにだけ、スポーツのことを聞いてくるんですよ。『お前なんかやればいいじゃないか。部活入ればいいじゃないか』って。そのときは、『入りたくない』と答えるんですけど。『お前、友だちいないだろう』っていうから、『いないけど欲しくない』っていうと、『あったほうがいい』みたいなことをたまにいうんですけど、大体、『あっそう』で終わる」(富久恭介)
騎馬戦の大将
さて、信介中学三年の一九九七年秋。恒例の運動会がグランドで開かれていた。期せずして起こる富久コール。
「トーミヒサ、トーミヒサ」