富久はやっぱり強かったですね。ブラックジャックとかやっても、あいつが沈んでいるところはほとんど見たことがない」(服部曉文)
カード麻雀がきっかけで信介と話すようになり、高一の五月の文化祭で麻雀好きの仲間たちと「カジノ」まで展示した一人が、牛島正道である。
「集まったのは十二、三人だったと思いますけれど、ぼくが全般の責任者で、富久が安全管理と資材を集める責任者で、トランプとか備品が必要なので。ほかのやつらは基本的にいい加減で、あまり手伝ってくれなかったんです。ぼくも結構適当だったんですけど、最終的には申し込んじゃったので、やらなければまずい、ということで、責任者だから一所懸命だったんですけど、あいつも一所懸命やってくれました。そういうことで富久とは、この段階で仲よくなったかもしれません。ディーラーはぼくたちがローテーションを組んでやりました。ポーカーとブラックジャックとルーレット。実際、展示のときは、あいつは一所懸命やっていましたね、かいがいしく」
その後、信介は牛島のクラスにまでやって来るようになった。