要するに、親の子に対する思いを慮ることなくはなかったように思う。そのことは長じてもずっと気にかかっていた。
 そして日比谷線の事故が起きた。犠牲者の一人は高校同期の友人の息子であった。麻雀を一緒にやったこともある富久信介だった。私にはその家族の心の奥の奥までを忖度して、真に慰めとなるような言葉をかけることも、行動をすることもできなかった。その力があるとも思えない。経緯こそ違え、Sの家族に対する十七歳のときの自分とそんなに変わっているわけではないのだ。だが、五十歳を過ぎ、出版社に身を置き、いささか社会的なキャリアを積んできた自分が、子どもを失った親である友人に対して、やはり何もしてやれないのか、あまりにも情けない。不遜に思われるかもしれないが、正直そう思った。
 Sやご家族のためにはできなかったが、いまの私なら、富久信介の生きた証をかたちにして、親たる友人に残して上げられる。そうすれば、それぞれの心の中で信介は生き続けることができる。そんな思いから本書を編んだ。

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