あれはみんなに受けましたね。うるさかったのか、弁当食ってたのか、何でかわからないけど怒られて。『帰れ、っていったから』って。彼はそういうところがありましたね」(道中祐仁)
どちらにしろ、信介が授業を真面目に聞くということは、金輪際なかったと、友人たちは口を揃える。中学校一年の三学期からノートを取らなくなり、二年からは教科書さえ持参していない。それでも落第点を取ることなく無事に進級している。
テストは人の情けで
中学校一、二年ぐらいまでは数学に関しては学校で勉強しなくても、そこそこできた。中学二年までは四谷大塚のときの講師に一週間に一回、三時間の授業を受けていたし、同じくもうひとりの講師には、麻布合格を決めてから、一カ月間で中学三年までの数学を教えてもらっていたからだ。
「中一のころにクラス旅行があって、そんときに同じ班で、おれは数学はすごくやってるんだみたいな話をして、二次方程式がどうたらこうたらという話になったんですが、よく知っていましたね。それで中間か期末か忘れましたけど、数学のテストの答案が返ってきたんですよ。