茶のいろいろな味わい方はその当時の時代精神を表している。それは茶に時代が表れるように人間にも言えて、人生は内心の表現であり、知らず知らずの行動は我々の内心の絶えざる発露である。茶や美術、芸術などの価値はそれは人により異なり、自分に語る程度によるものであることである。現代の美術に対し表面的に熱狂している人々は作品の良否より美術家の名が重要であるらしい。やはり、人間は自己を持ち、周囲に流されない主体性を持って生きるべきだと思う。」

 子どもっぽさの残る文章だが、信介は実生活でも自分をしっかり持とうとしていた、あるいはもっていた。その表れが、サッカーへの、ギャンブルへの、あるいは後に触れるラーメンやボクシングへの情熱であった。家庭で見せるいらだちもそれへの渇望だったかもしれない。「富久はいらだっていたというよりは、動いてなくては気が済まないという感じだった。自分が動ける場所を見つけて自分がやりたいことをやりたいという感じでした。それでいろんなものに手をだして」(小松亮介)いたのだから。

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