さて、一家はこの母子センターからほど近い、横浜市神奈川区鳥越に一軒家を借りて生活していた。二階建てのこの家は親子三人が暮らすには十分の広さだったが、築後三十年ほど経っていたから、自分たちが負担して修理をしなければならなかった。ガスも自前で引いた。
「もうないかもしれないな。何しろおれたちが住んでいたときにすでにボロ家だったんだから」
 二〇〇〇年十一月のある日、引っ越して以来初めてきたという邦彦は、そういいながら京浜急行線仲木戸駅から歩き出した。JR東神奈川駅を経て、歩道橋を渡り、大型スーパーのSATYの前を通る。

「一歳半ごろでしたけど、もう歩けるようになっていたので信介を連れてここに買物にきたんです。そうしたら迷子になっちゃって、青ざめました。でも、幸いすぐに見付かりましたけど、あんなに慌てたことはありませんでした。それにこんなこともありました。信介が歩道橋の柵から頭を出して電車を見てたんですが、頭が抜けなくなっちゃったんです。このときも大騒ぎ。割と泣き虫だったのでワンワン泣いてしまって」と節子。

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