信介は涙もろかった。幼稚園に入っても、同級の園児にきつくいわれると、涙ぐむことがあった。長じても興奮したり、何かを懸命に訴えようとすると、そうなることがしばしばだった。
 家はあった。人が住んでもいる。

「まだ、あるんだね」

 邦彦は感慨深げにいった。夫婦の生活をスタートさせた場所だから、当然のことである。いわば故郷みたいなものだ。
 ここを引っ越して同じ横浜の南区中里に移転するのは信介が一歳八ヶ月、まだ弟の恭介は生まれていなかった。大家から立て直すからと立ち退きを要求され、次の棲家を捜すために何軒も見て回ったが、なかなか気に入るところが見付からなかった。ここに決めたのは角地で日当たりがよく、見晴らしもよかったからである。
 横浜は坂が多い。中里も高台に開けた住宅地である。最寄の京浜急行弘明寺駅からは弘明寺公園を経て、比較的なだらかな道を通ってそこに辿り着くことができる。しかし、平戸桜木道路側から坂道を登るには、ひと苦労もふた苦労もする。

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