違って、キチガイじみたとこのある人がたくさんそろっている』といってた。それで、みんなで羽目をはずしているというのがあって、あいつはそういうことがすごい好きだから、居心地がよかったという気がしますね。そういう中で楽しそうにしていた。うちの部は負けず嫌いも多くて、『サッカー部とは違うな』って、いつもいってましたね」(石津顕太郎)

 それどころか、「富久がいると柔和というか、富久がいてみんながとても仲良くなれるという感じもありました」(奥原慎平)というくらいの打ち解け方だった。みんなの求めに応じて、タックルダミーを相手にボクシングの真似事をして見せることもあった。
「最高の友人は最高の友人としかいいようがない」といってくれる友だちが信介には現れた。信介も生涯に渡って付き合える親友をここで何人か見つけた、と思っていたのだろう。いや、思っていた。だからこそ変わったのだ。

「ノーサイド」世界との別れ


 二〇〇〇年二月二十日、この学年にとっての最後の試合、青山学院高校戦が麻布学園グランドで行われた。

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