「最初のころは、麻布高校に行っている優秀な子なんで、アマチュアの試合に出すのも、ほんとうは反対というか、躊躇してるところもあったんです。ましてやプロのリングといったら危険な場所ですからね。だからちょっと考えたほうがいいということもあったんですけども、徐々に実力もつけてきたし、一所懸命にやってるんで、高校を卒業して、大学に入ったら、ここでプロのライセンスを取らせて、数試合やらせてもかまわないとは思っていました。四回戦ぐらいの試合は、本人がどうしてもというのならば、両親に確認して、やらせてあげようと」

練習頑張る人


信介にとって大橋ジムは四ヵ所目のジムである。邦彦の勧めで最初に入ったのが、笹崎ボクシングジム、中学二年の七月だった。七ヵ月在籍した後に、横浜光ボクシングジムに移る。憧れていた畑山隆則の所属するジムである。信介は畑山を育てた有名な韓国人トレーナーに指導されることを期待していたが、中学生ではそんなことはかなうべくもなかった。失望してそこを辞めた信介は、また、邦彦の紹介で河合ボクシングジムにわずか三ヶ月間在籍するが、このとき高校生になっていた。

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