「いろいろ大変な時期でジムに専念できなかったので、直接にぼくがいろいろと指導して上げられなかった。それは残念で、申し訳ないことをしたと思っています。信介君に教えていた甥っ子の了がいうには、大変礼儀正しい、今どき珍しい、今どきいないような高校生で、その辺にいる連中とはちょっと違った雰囲気を持っていたらしい。それに、どちらかというと余計なことしゃべらないし、おとなしく自分のいうことをきちっとやるとても礼儀正しい子だったよ、というようなことでした」(河合哲朗)
多分、そうした真面目さは、先の二つのジムでも変わることがなかっただろうし、まして大橋ジムで変わろうはずはなかった。高校に入り、ボクシング中心の生活を組み立てていた信介は、学校が終わると、すぐにジムに駆けつけ、練習に励んだ。その姿はジムで注目を浴びた。
「あまり目立たない方の人だったんですよ、最初は。でも、練習頑張ってる人がいるなー、みたいな感じで見てた。麻布高校に行ってたから、黙々と努力するタイプの人かなー、という感じでした。自分としては、小さいころから勉強して私立の高校とかに行ってる人は、結構尊敬しちゃうんですよ。