おれは早くて七時ごろからしか来れないけども、もしその時間に来れるんであれば来いよ』ということで。それから富久とのマンツーマンの指導が始まったわけです。もちろん私が不在のときでも他のトレーナーの人たちが彼の指導にあたってくれていました」(平戸正幹)

たった一人の麻布高校ボクシング部


 高校一年なってボクシング中心の生活を始めた信介はある日、担任の村上健を訪ねた。麻布高校にボクシング部を作りたい、ついては顧問になってくれないかと、要請するためである。
「彼の話は『ボクシングをやっていて、試合に出たいけども、そのためには高体連というものに加盟しないと出られない。それに高体連に加盟するには部がなくちゃいけない。といっても、ボクシング仲間はこの学校にはいなくて、おれだけである。だから、正式な部というのは無理なんだけど、ぜひとも試合に出たいんで形だけの部というのを作って、顧問になっていただけませんか』というものだったんです。彼はとにかく非常に真剣で、試合に出たいという気持ちがひしひしと私に伝わって来たんで、そういうことならば何とかしてみようということで別れた。

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