いい出したら聞かない子


「このスプーンじゃいやだ」。信介が突然騒ぎ始めた。そうなるとしつこい。自分がいつも使っているスプーンをくれと何度も何度もいい募り、騒いだ。邦彦が「どのスプーンでも同じじゃないか」といい含めようとしても、頑としていうことを聞かない。節子はこのとき次男の恭介を出産するために母子センターに入院していた。挙句の果てに、「自分のスプーンを捜せ」と手伝いにきていた邦彦の母を追い回し始めた。そのあまりのしつこさに邦彦の堪忍袋の緒も切れかかったものの、探し出してやる。邦彦はそんな親だった。
 幼稚園のころにもこれと似たような騒動が起きている。そのときは折れ目がついてしまった画用紙を元のきれいな一枚に戻せという要求だった。別の新しい画用紙を使えばいいじゃないかという両親に、それでもしつこくこれを元に戻せと繰り返し繰り返し、それこそ涙を流しながら訴えている。これにも両親は閉口した。
 だが、信介は決してわがままでも、甘ったれでもない。これ以外に駄々をこねられた憶えは両親にはほとんどない。むしろ、いって聞かせ、自分でわかったといえばきちんとそのことをやる子どもであった。

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