だが、それには処方箋があり、自身でも着実にそれを実行に移していた。

初めて脱臼したのは、高一の秋の運動会、騎馬戦のときだった。それが尾を引き、同じ十月に行われた試合で、また脱臼し、一ラウンドで棄権負けしている。

「お父さんは、おれのことがわかっていない」

 信介は声を荒げ、リビングルームのテーブルを足でドンと蹴るなり、プイと自分の部屋に戻ってしまった。二〇〇〇年二月二十日過ぎのことだった。一月三十日の試合でまたまた脱臼したため棄権負けを喫した信介は、しばらくジムに行かなかった。来年は大学受験、そういう時期だった。脱臼のことと、大学受験の両方を心配していた邦彦は、信介に提案したのである。
「こうやれということではなくて、あくまでもひとつの選択肢として考えて欲しいんだが、これから一年間トレーニングは続けるにしても、試合を休んだらどうだ。そうすれば肩も休まるし、脱臼しなくなるかもしれない。それに受験勉強をすれば、お前が嫌な浪人もしなくて済むだろうし」

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