鼻をグスグスいわせながら立っていたその姿は着ダルマだったからだ。持って出た服をすべて着込んでいるのだった。一晩野宿して、二晩目は耐えられなかったらしい。風呂に入れ、暖を取らせたが、アトピーはひどくなっていた。このころアトピーはだいぶ治まっていたが、一日でも手入れを怠るとやはり症状が出た。薬を背中にぬってやっても、もちろんひとことも口を利くことはなかった。

最期の正月だった。

親とは口をきかない年代?


信介は中学への入学以来、邦彦や節子に対して、学校や友だちの悪口をいうことはあっても、学校生活のことはほとんどとといっていいくらい口にしなかった。唯一の情報源は、中学一年で同じクラスになった母親たちの集まりや付き合いであった。それは今でも続いている。つまり、節子は他の子どもたちの母親を通して、信介がどんな学校生活を送っているかをおぼろげながらにしか知ることができなかったのである。
中学三年になると、富久家には信介の麻雀仲間が集まるようになった。邦彦がその場にたまに顔を出すことはあったとしても、彼らとまして信介と

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