そのころは二人で遊んでましたね。そのうち年が変わって、三月ぐらいに飯塚さんが越して来たんですね。そこにも慈美ちゃんという同じ歳の女の子がいて、その三人で遊ぶようになったんです」(元向いの住人 合田幸江)
一九八七年四月、三人はスクールバスで二十分ぐらいのところにある、南白ゆり幼稚園にそろって入園する。家の真ん前までバスが迎えにきてくれるから、という理由で邦彦と節子はこの幼稚園を選んだのだった。
「四クラスあって、一クラス三十名でしたから、百二十人くらいいました。あの幼稚園にはバスがあったので、かなり広範囲から園児が来ていました。ですから、みんなが集まるまでの待ち時間は各自が好きに過ごしていました。それから、ちょっと特殊だったんですけども、早期教育というんでしょうか、公文式みたいな感じで、教師が絵の描いてあるカードを見せて、園児がスイス、日本とか、そういうことを答えるようなことをやっていました。ことわざカードというのもあって、富久君はそういうものがすごく好きでしたね。すごく記憶力がよくて、ベラベラいえちゃう。ことば遊びや頭を使うクイズとかが大好きでしたね」(元年長すみれ一組担任 吉村万紀子)