このことについては母と子の記憶が違っている。
「公文に行っていたときは、知佳の方ができたんですよ。小学校に入るとき、公文やってたから、私立に行くかと聞かれたんです。で、信ちゃんに聞いたら、『行かない』っていったから、信ちゃんが行かないならと、普通の公立に行ったわけです。とにかく何でもまねしてた。信ちゃんは何でもできたし、大きかったから」(合田知佳)
それはともかく、信介は公文で勉強することを最初は泣いて嫌がった。だが、両親が何とか説得して続けてやらせるうちに、いつの間にかどんどん先へと進んでいった。年中組の十二月には、三学年以上高い算数の教材をこなしていたし、年長組の十二月には二学年以上高い国語の教材をクリアーしていた。生来の生真面目さと頭のよさ、それに負けず嫌いが相俟ってのことである。
「幼稚園に行ったときにも、知佳は信ちゃんの後を追っかけるんですね。信ちゃんの背中が見えれば安心。スポーツクラブでスキーに初めて泊りがけで行かせたときも、夜、うちの子は泣くんですよ。そうしたら、先生が、『信介、知佳が泣いてるからどうにかしてくれ』というようなことも何度か。