負けず嫌いだったということは、最低限自分の弱味を人に見せないということでもある。幼稚園の時代、アトピー性皮膚炎がいちばんひどい時期だった。アトピーが信介にとって弱味であったかどうかは別として、少なくとも我慢はしていた。幼稚園では先生であれ、ましてや友だちに、その辛さを訴えるようなことは決してなかった。実際ひどいときは包帯だらけ。夜中に痒がった。自分で掻くと血が出てくるまで掻きむしり、ときには喘息の症状まで引き起こした。薬を塗り、夜中に背中を掻いてやるのは、邦彦や節子の日課であった。こうした親と子のやり取りは、信介が亡くなるまで続いたが、信介が表面上両親に対してどんなにひどい振る舞いをし、ことばを吐こうとも、根の深いところで親子の信頼関係、信介から両親へのそれをゆるぎないものにしていった要因のひとつが、このアトピーだったことは疑いを入れない。
アトピーの治療のために、一年間お金を貯めて、夏のお盆の時期に一週間ぐらい海に行くようになったのは、信介が年中組の八月からである。この年は千葉の太海海岸だった。自然塩は一時的にせよアトピーに効力がある。最初はしみるために、信介はものすごく痛がった。