「年長組の七夕祭のときに、浴衣を着るのを最後まで嫌がっていた。着ても、幼稚園から帰ったらその場で脱ぐっていう状態でしたね。ただ、その日は夕方から七夕の踊りがあって、また幼稚園に着て行きましたけど。帰って来て、写真を撮るまでは着ていたのですが、済んだらすぐ脱いじゃった。変わったことするのは嫌な子だった。やるときはきちんとやるのだけども、すごい照れ屋でしたよ」(合田幸江)
多少、気の小さなところもあったのか、やさしい性質なのか、心配性だったのか、慎重なのか、信介は節子にあるとき涙ながらにこう懇願したことがある。
「お母さんお願いだから、あんなこともう二度としないと約束して。あんなことしたら死んじゃうよ」
電車がきたので弘明寺駅の階段を走って駆け下り、飛び乗ろうとしたが間に合わなかったときのことである。こうした信介の性格は、幼稚園でも垣間見られている。