で、富久のところがいちばんのライバルチームで、何回か戦いました。朝、試合するんです。先生も入ったりして、先生はいつもは審判なんですけれど、人数が足りないと入るんです。でも、その先生は負けそうになると笛を吹いたりして、汚いというか。ぼくはフォワードでした。中学校まではずっとフォワードで、高校では辞めてしまいました」(天間悠介)

五年生のときには学校にできた特別サッカークラブに入る。
「六年のときクラスは別でしたが、廊下でボールは使っていないんですけれど、フェイントの練習を『こうやるとうまくいく』といっていつも歩きながらやっていました。それで抜かれたためしはないんですけれど。『カズフェイント』とかなんとか訳のわからないことをいって」(天間悠介)

「小五のときに、特別サッカーというクラブができて一緒にサッカーをするようになって、つきあいが始まりました。クラスは一度も一緒になったことはないんです。で、ぼくも大きい方でしたけれど、富久の方が一回り大きくて、迫力がありました。学校が終わったら夜遅くまでサッカーをやり、休みの日も公園に集まってやりましたね。

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