信介は続いて、マリノスとヴェルディーのジュニアユースを受けたが、失敗。信介は「おれはどうして好きなサッカーが駄目で、好きでもない勉強ができるんだろう」と落ち込んだ。

 富久家では、サッカーをめぐって大変な騒動が起きている。信介はほとんどといっていいほど家の外で自分の心情を吐露することはなかったが、その分家に帰ると、思い切り自分をさらけだした。サッカーに拘泥する余り六年生の六月ごろ、塾を辞めてサッカーに専念するといい出した。寝耳に水とはこのことである。サッカー留学したいともいい出した。それに関しては邦彦が、大学の先輩の伝を頼ってスペインやブラジル、ドイツの事情を調べたが、かなりの困難がともなうことがわかった。信介はそのことを了承し、塾も辞めることなく元の鞘に収まった。持ち前の一所懸命さがそういう言動を取らせたのであろうか。一方で、信介は小学校五年ごろから、自立が始まり、親が学校行事、たとえば運動会などに来るのを拒否するようになる。親の前で何かをすることも極端に恥ずかしがって、決して見せないようになっていた。

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