「学校の勉強だけでは受験というものはのり切れないですからね。その厳しさはわかっているつもりです。義務教育だからみんなに基礎、基本みたいなところを教えます。だから、富久君といえども、もし私が小六のときに担任で、私の授業を聞いて受験に受かるかどうかわからないですよね、あの子にとっては簡単なことをやっていますので。だから多分授業中に問題集とかやっていたと思いますね。ただ、担任の立場になって考えれば、あの子がいろんなことをいってくれるともっと広がっていくのにとか、高まっていくのにとか、思いますよね。富久君のような子だと、どうしても一目おいて、期待するということがあります。時間が経って振り返ってみれば、その子の立場もわかるんだけど。でも、毎日顔を会わせているときは、なかなか」
それは煎じ詰めれば、全員を同じラインに揃えるか、各々の違いを認めた上で、各自の能力、個性にあったきめ細かな教育をするか、の選択になるだろうが、深入りは止める。しかし、教師のやり方によっては生徒が傷つくことだけは確かである。