第四章 中学受験のために塾通い



 私が住むところから最寄の駅は、東京急行東横線の菊名駅である。その駅近くに有名な中学受験のための塾がある。だから、夜の九時ぐらいに駅で同じかたちのカバンを背負った小学生の一団によく出くわす。かつては、夜遅くまで可愛そうにとか、遊びたい年ごろなのにとか、いささか同情めいた思いを抱くと同時に、同じ車両に乗り合わせると、正直いって、うるさい、とも思っていた。大半の子どもたちが、大きな声を出してふざけあっている。こちらは疲れているから少しは静かにしろよ、と思うこともあった。だが信介の事故があり、取材を始めてからは、彼らをよく観察するようになった。そうすると、身体の大きさが随分違うもの同士が、親しんでいる光景が目に入ってくるようになった。以前から見ていたはずだが、そんなことには気づきもしなかった。信介もこんなふうに塾の仲間たちとじゃれ合っていたのだろう、と思わされた。
 ともあれ、信介が四年から六年までの三年間通った四谷大塚進学教室は、毎年、麻布、開成、武蔵、浅野、栄光学園、海城、慶応普通部、桜蔭、女子学院、フェリス女学院、筑波大学付属駒場、学芸大学付属、青山学院、

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