五年になって新横浜教室に移ってからも(理科と社会は上大岡教室)それは変わらなかった。六年はすべての教科を新横浜教室で受講する。そのころには邦彦は、事務所を横浜駅近くに移しており、待ち合わせ場所も東急ホテルのロビーに変わった。一緒に帰る道すがら、二人はさまざまな話をした。父親は遅くまで仕事、子どもは塾、したがって父子の対話はほとんどゼロ、という世間相場からは程遠い関係をこの親子は結んでいた。
五年生(「予習教室 五年コース」という)のときは二会場に通った。月曜日と金曜日は新横浜教室で算数と国語をそれぞれ学び(午後五時二十五分から八時二十分まで。授業は各八十分。休憩十五分の間に軽食をとる)、水曜日は同じ時間割だが、上大岡教室で理科と社会の勉強をし、日曜日はテスト。六年生のときは六月までは一般の平日教室に通い、月曜日が理科、火曜日は算数、水曜日に社会、それぞれの授業。木曜日と土曜日は休みだが、金曜日に国語の授業、日曜日にはテストがあった(現在は水曜日、土曜日が休み)。時間割は五年のときと同じである(現在は二十分繰り下げて授業が行われている)。